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地域だからこそできる、「職住近接」という新しい幸せなはたらき方・暮らし方の提案

職住近接とは、職場から自宅への距離が近いことを指します。
2023年3月から築100年の古民家をリノベーションしたシェアオフィス「Canvas」に事務所を移転した株式会社Pallet。その代表を務める羽山暁子はオフィスの2階を居住区として愛する旦那様兼同社取締役と一緒に暮らしている。朝起きて、一階のオフィスに出勤するという職住「超」近隣の生活をする法人の代表は珍しいのではないでしょうか?
今回はそんなはたらき方・暮らし方をしている羽山に現在の生き方に至るまでのストーリーをインタビューしました。


29歳のときに「一生自分らしく自分のままはたらき、楽しく暮らす方法」を真剣に考えた結果



ーーいつから職住近接の生き方をしたいと思っていたのですか?

 一番最初に思ったのは社会人5年目の2008年です。当時SOHO(ソーホー:Small Office Home Officeの略)という通信機器を揃えて、自宅をオフィスにして働くというはたらき方が流行し始めていました。そのはたらき方を知った時は、毎朝電車に揺られて会社にいかなくてもいいはたらき方があることにかなり衝撃を受けたんです。

 同じ年に結婚をし、その時に29歳を迎え、今後子どもを授かりたいのか、キャリアの方向性をどうしていきたいのかなど、色々と考えることが多い年でもありました。その時点で「一生はたらいて生きていく」ことだけは決めていたので、SOHOというはたらき方が出来れば、女性がどのようなライフイベントを迎えようと、キャリアを重ね続けることができると思ったため、当時はとても明るい可能性を感じて、その年の手帳の将来やりたいことリストの中に「SOHOではたらく」としっかり書いていたんですよ。


ーーでは2008年からずっと職住近接を目的として人生設計をしてきたのですか?

  それが、そう書いたことはすっかり忘れていて(笑)。今のCanvasに引っ越すために、片づけをしていたら2008年の手帳が出てきて、読み返したらそう書いてあってびっくりしました。けれど今思い返せば、SOHOに憧れた2008年はリーマンショックにより新卒採用がクローズになってしまい、一旦営業職に戻されたタイミングでもあったんです。もちろん営業でもしっかり結果を出していたのですが、「私のやりたいことってこれじゃないんだよなぁ」と、当時は相当悩んでいました。そういったキャリアの葛藤と、結婚によって様々なライフイベントの選択肢が生まれたことで、当時から女性が一生自分らしく自分としてはたらく方法や楽しく暮らしていく…そんな理想的で社会的な生き方を模索していたように思います。

 その時にライフイベントとキャリアを両立させるためには、組織に属しながらも、いつでも転職や独立ができる位には、市場価値が高い状態でいること、スキルや経験を磨き続ける自分になっていく必要があると思いました。それまでやってきたキャリアが営業か人事の2つだったので、どちらかで生きていこうと。人事はポータブルスキルでどこの企業でもある仕事。ならば人事で生きていこう、そう決めたのが29歳の時です。それから市場価値を高めるための行動として、ゆるやかに転職活動を始め、31歳の時にこれから人事部を立ち上げるというITベンチャー企業へ転職しました。

 転職するまで新卒でお世話になったインテリジェンスも、今でこそ管理職の数が男女半々になっていますが、当時は1〜2名しかいない状態。「この会社で一生働いていく未来が描けない!ロールモデルがいない!」ってよく上司に噛みついてました(笑)。でもその上司に「俺だってロールモデルなんていないよ」と言われて、その時に初めてなるほどと思ったんです。

 ロールモデルなんて探すものじゃない。だって自分も世の中もどんどん変わっていくわけだし、その変化の中で常にこういうはたらき方をしたい!とか、こういう生き方をしたい!と自分で描き、行動し続けた結果としてそういう風に自分がなっていく。気付くとそれが誰かのロールモデルになっているということでしかないとその時に気づいたんです。

  
 それからはとにかく理想的で社会的なはたらき方・暮らし方を自分で追い求め続けて、29歳の時に人事で生きていく、38歳で独立できる位の力をつけると決めて動いてたように思います。


地域だからこそできる、緑の近くで生産性高く仕事をするというはたらき方


ーー大変合理的な生き方ですね。羽山さんは2015年に仙台へIターンをして独立しました。そこからどのように職住近隣を求めて現在に至ったのか教えてください。

 2015年当時ってノマドワーカーという言葉が流行っていたんですよ。仙台に来て、独立もしたのでノマドワーカーになれるとワクワクしていたのですが、そもそも仙台にノマドができるカフェがなく、スタバですらコンセントがない店舗がほとんどで、更にはコワーキングスペースも私が探した限りでは存在しておらず、絶望感を感じたんですよね。この頃にはSOHOのことなんてすっかり忘れていますし、時代はノマドだったから、せっかく仙台に来たのだから色々な人に出会い、ワーキングスペースで一緒にごちゃまぜになってはたらきたいと思っていたんです。

こういうイメージのノマドに憧れていました

 そんなことを思っているうちに、Intilaq東北イノベーションセンターというシェアオフィスができ、そこのほぼ第一号会員になり、その後エンスペースができたのでそこもほぼ第一号会員として移り、スタジオ080ができた時もほぼ第一号会員で入り…と仙台の主要なコワーキングスペースには工事中の段階で入会しているんですね。どうしてそんなに拠点を移していたかを振り返ると、多分、緑を求めて移転を繰り返したんです。笑 せっかく杜の都・仙台に来たのだから、緑が近くて空が大きく見えるような、五感を解放しながらはたらくことを実現したいという思いが強くなっていったように感じます。

定禅寺通で五感解放中の羽山さん

 仙台は駅前はオフィス街のようになっていますが、車で20分も走れば田んぼがあるような自然豊かな都市。なぜみんなその場ではたらかずに、わざわざ東京の様にスーツを着て満員電車に乗って無機質で生産性が下がるビルの中ではたらくのか不思議に思いました。

 東京から仙台に来て一番衝撃的な気づきは、東京は五感を閉じて生きる場所だったということ。東京で生きていると、様々な匂いがするから鼻から深呼吸なんてできないし、満員電車の中では感情すら押し殺していることに、仙台に来てから気付きました。

 仙台は杜の都と謳われるほど、街中であろうと空気が澄んでいて深呼吸ができる。緑豊かで、空気がおいしくて、深呼吸ができるってすごく幸せなことだと思うのに、わざわざ自然から離れて電車に乗ってビルではたらく東京のような暮らしにものすごく違和感を覚えました。東京の模倣ではない地域ならではの幸せなはたらき方って絶対にあると思い、それを実現したくて緑を追い求めて移転を繰り返しました。

コンパスに移転した時

 そして仙台協立第一ビルのコンパスに移り、やっと緑と空が近いと思ったら、大きなビルが目の前に立ち…という紆余曲折を繰り返しているうちに、現在の物件である築100年の古民家を小向家(Palletメンバー兼オーナー)が勧められ、その家をどうするかという話が持ち上がりました。市街地からさほど遠くなく、緑豊かなその物件でなら地域での新しい暮らし方・はたらき方を実現できると思い、小向家と協働してリノベーションし、現在のシェアオフィス兼居住スペースのあるCanvasが完成し、移転するに至りました。


緑がすぐそばにある築百年の古民家をリノベーションしたCanvas

世界と選択肢の広がりが生む幸福感とは?


ーーまさに緑豊かな場所での職住近接のごちゃまぜなはたらき方と暮らし方が手に入ったわけですね。以前から羽山さんは「ごちゃまぜ」という言葉をよく使いますが、羽山さんにとってのごちゃまぜの定義と、なぜそのような価値観を持つに至ったかを教えてください。

 「ごちゃまぜ」の定義は一言でいえば多様性です。多様性に触れ、価値観を広げ続けることによって自分の世界を広げることが私の価値観の中核を担っています。これは私のコンプレックスに基づいているのですが、6歳まで父親の仕事の関係でジャカルタで育ち、駐在者は富裕層である一方、すぐ隣はスラム街という多様性の中、スラムの子と一緒になって外を走り回るような野性味溢れる幼少期を過ごしていました。アドラーは10歳までに根本の価値観が出来上がるといいますが、ジャカルタ時代にほぼ現在の価値観が出来上がっていたのだと思います。

スラム住宅街のすぐ近くに高層ビルが立ち並ぶインドネシア・ジャカルタ


 ほぼ価値観が出来上がったところから一変して、小学校に上がるタイミングで帰国し、均一的な価値観のエスカレーター式の学校に放り込まれたわけです。その均一的な価値観が、私の中では言葉にできない違和感であり、窮屈な気持ちがずっとあって…。世界ってこんなに同じような経済観念の人ばかりではないという感覚とか、世界を全然知らず、多様な価値観に触れないまま多感な12年間を過ごしたことが、大きなコンプレックスとして残ったんです。なので大学は多国籍で色々な価値観の人がいるであろう、ICUを選び、国際協力を学ぶために、内戦終結間もないエルサルバトルやタイやインド、モンゴルなど色々な発展途上と言われれる国に足を運び、現地の人の話しを聴き、時に共に暮らし、様々な価値観を見て感じてきました。

 多様な価値観に触れ、自分の世界を広げ続けることの大切さは、複数の選択肢があることを知り得るところです。私の幸せの定義はいくつかありますが、その中の一つに、複数の選択肢がある中で、その選択肢を自分が選んだという自己決定性、つまり自分でそれを選んだのだという感覚を持てるということがあります。色んな人と出会えば出会うほど、様々な選択肢が広がっていき、その中から自己決定できることは幸福感を得ることに繋がると思っているんです。

多様な価値観をもつPalletメンバー

 仙台に来て思ったことの一つは、価値観の多様性や選択肢が多くないんだなということ。東京の人口が1380万人に対して、仙台は106万人。東京に比べると出会える人の数が限られる分、多様性も限られてしまいます。狭い世界の中を生きるということは、同調性や同調的な圧力の中で生きざるを得なくなるということ。すると、どうしてもコンフォートゾーンの中で生きていくことになりがちです。その世界で我慢して生きている人も多いし、その世界でいいと思い込んでいる人もいる。そんな人に向けて様々なイベントを開催し、多くの人を動員してごちゃまぜな空間を作ることによって、世界を広げると面白いことが起こり、今まで考えたこともなかった選択肢があることを知ってもらうきっかけ作りをしていました。

 そういう意味では現在行っている職住近接の生活も、仙台ローカルだからこそできる生き方・はたらき方・暮らし方の価値観を広げるための活動の一貫ですね。


 

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