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曰く、人 ≒ 海らしい。

「人は海のようなものである。
ある時は穏やかで友好的、ある時はしけて悪意に満ちている。
ここで知っておかなければならないのは、人間もほとんどが水で構成されているということです。」

ドイツの物理学者、アルベルト・アインシュタインの言葉です。

人には感情の揺れがある。
だからこそ辛いとも言えるし、だからこそドラマチックで面白いという観点もあります。

安定して常に同じ気持ちでいれる人はいない。

アインシュタインの言葉には
「人は生まれながら、孤独なのだ」
という言葉があります。

私は正直これまで「人間の孤独」というワードに、ピンと来ていませんでした。

自分の大好きなアーティストが、よく「孤独」をテーマにして曲を出しています。そのアーティストの歌詞には大体共感をするのですが、「孤独」に関しては、うまく飲み込めていないところがありました。

その考えに否定的、というのではなく、
単純に「孤独」という抽象的な表現に
自身の具体的な人生経験を載せられず、
本当に人は孤独なのかがわからなかったのです。

自分の周りには関わってくれる人がいて、
学校や仕事であったり関わらなければいけない人もいて、
全員が全員、「孤独」という表現に当てはまるかどうかはわからないと感じていました。

しかし、何だか最近、
その意味がわかった気がします。

「孤独」というのは、
もしかしたら恒常的なものではないのではないかと感じたのです。

その時々に現れる「孤独」があるのではと。

自分は音楽を作っています。
自分自身の夢のために向き合わなければいけない時間があります。

楽曲を作ることは勿論大好きですし、
とても楽しい時間ですがその過程にはやりたくないと感じる作業もあります。

音楽的でない微調整や単純作業です。
ただそれらは完成には必要不可欠で、他の要素と絡み合って全体を構成している。

時間もそこそこかかる。
そのため長いスパンで時間をかけて取り組むのです。

こういった、自分自身で自分を律して、
誰かに指示をされたわけでもなく、
やらなければ生きていけないわけでもないことを
辛さを感じながら取り組む。

この時、自分は「孤独」を感じました。

きっと、これは向き合うべき「孤独」なんだと思います。
「孤独」と共に感じたのは絶望のような光のない感覚と得られるであろうものへの前進感。

矛盾しているように感じますが、
これらを一度に享受している感覚でした。

恵まれた環境にいる私たちは
常に「孤独」と隣り合わせではなく、
自分に必要なものと相対する時、「孤独」と向き合うことになる。

アインシュタインの言葉の意味を汲むならば、
寧ろ「孤独」は恒常的で、私たちは「孤独」でないと取り繕い、本当に必要な時に全てが取り払われ「孤独」が露わになるのかもしれません。

私は自分に必要な「孤独」とこれからも向き合っていきたい。
それでも人は海のようなものだから、孤独と向き合う時にどうしようもない気持ちになることがあると思う。

何て人間は生きづらいんだと心から思う。
だけど、少しずつでも向き合うしかない。

「孤独」は自分だけが戦えるものだ。

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