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死にたい、と言ったら「25歳まで生きてみて」と言われた話

私は虐待サバイバーだ。いまでは影も形もなく、毎日元気に生きていて、私が「死にたい」と本気で考えていたこと、過去の話をするとみんな「ありえない。信じられない。」と口を揃えていう。

そんな私の愛嬌たっぷりの姿は、生まれてすぐに暴力と罵声の中で育った子供が、世間で見知らぬ大人に守ってもらうために身に着けた、悲しい処世術だ。

1.父の暴力

物心付いた時には私は父に怒鳴られ、叩かれていた。下に弟が二人いたが、みんな平等に殴られて育った。

寝ているところを叩き起こされて腹を蹴られて死ぬかと思った夜。殴り飛ばされた弟が学習机に叩きつけられのを泣きながら見つめる休日。ガムテープで口と体をグルグルに巻かれ、拘束された状態で寒い玄関に転がる弟。ムチのように鋭く痛いプラスチックの大きな定規で全身を叩かれ、出血する早朝午前4時。

思い出せばきりがないが、生まれた時から365日、こんな毎日を過ごしていた。母も「クズ!」「出来損ないが!」と怒鳴られていたし、殴られていた。(なお母は女性ながらに年収600万はゆうに稼げる人なので、私にとって自慢の、優秀な母だ)

父の怒鳴り声はヤクザと変わらない。朝からこんな勢いで怒鳴りつけるものだから、毎日が恐怖との戦いだ。(この参考動画は警察官だけど)

動画と同じようにテーブルや扉を叩いて威嚇する。手が飛んでくる。家族で出かけた車の中でキレた時には、急発進・急ブレーキの繰り返し。社会的にも問題行動だ。いつ事故が起きてもおかしくなかった。今でも店員さんに向かってこのヤクザ口調で怒鳴り散らすので、いつかこっぴどく制裁を受けることを願ってる。

中学生の頃、「これ、犯罪じゃね?」と思って110番通報をしようか迷っていた。台所から包丁を取ってきて、母を殴っている父を刺すべきだと何度も思った。子供には逃げ場所がない。恐怖の世界で生きてきた。そんな家庭で育ってきた弟は2人とも学校でいじめに合っていた。全てが絶望の毎日だった。

なお父は酒もタバコもほとんどやらない。年収は1,000万あった時期もあるし、休日は国家試験の勉強をしているタイプだった。我が家は戸建て一軒家で車があり、3人の子供がいた。THE中流家庭だ。家族の本当の姿を知らない人には「羨ましい、理想的な家庭」と評価されている。クレヨンしんちゃんの家族みたいに映る人もいるのかもしれない。しかし実態は地獄。見えないだけで、影にはこんな家庭もあるんだということで参考にしてほしい。

2.死にたい

こんな恐怖にまみれた人生を生まれたときから送っていた。命の危機を毎日感じているのだから鬱にもなるし死にたくなる。家から逃げ出したくて、私は大学生の頃に一人暮らしを始めた。(私は大学に行きたくないと言ったが母が止めてくれた)

大学に行くとより一層孤独を感じた。元気で明るく充実した日々を過ごしている周りの学生が憎かった。「命の危機を感じずに、のうのうと生きているなんておかしい。」(もちろん今では、人には人の苦しみがあることを理解しています)

そんな私もはたから見たら充実した大学生に見えたらしく嫉妬されたこともあった。しかし人生において絶望を知らない人と深い仲になりたくなかった。授業以外では借りたアパートに引きこもっていた。長期休暇の時には一週間、布団から出なかった。

自分が生きていていいと思えなかった。自分は誰からも愛されることなく、くだらない存在だと思っていた。毎日大学に通いアパートに帰る生活で、多額の費用がかかっていることに罪悪感を持っていた。自分は生きていてはいけないと思った。しかし、誰ともこの辛さを分かち合えなくて、孤独だった。

3.出会い

そんな時、私が唯一人と繋がることができたのはTwitterを通じた創作活動だった。大学生の頃に大友克洋の「AKIRA」にハマった。この他、第二次世界大戦を題材にした作品にのめりこんだ。「大きな悲しい死」について、もしくは「生きる意味」について、フォロワーさん達とお互いに独り言をつぶやくかのように、深夜から明け方までお互いの気持ちを明かしあった。

創作する人は何かしら「闇」を抱えて生きていた。私達は共鳴しあっていた。お互いの痛みを知る唯一無二の理解者。深い海の底でひっそりと漂う、居心地の良い空間だった。

そんな中、彼女に出会った。

彼女は母と父の家を行ったり来たりして住んでいた。両親は別居していたと記憶している。彼女自身も苦しい家庭環境だったにも関わらず、人の心に寄り添い、あたたかく励ますような素晴らしい漫画を趣味で描いていた。沢山の人が彼女のファンだった。同じジャンルで創作活動をしていることがきっかけで私達は知り合った。初めてのSkypeでお互いの家庭環境の話になり、一晩中語り尽くし最後には涙を流していたような覚えがある。

しかし彼女はたまに心の中の闇が吹き出して、止まらなかった。「死にたい」「私なんか生きている価値がない」タイムラインに叫び声のように投稿されるツイート。そんな彼女が痛々しかった。まるで自分のようだった。そこには怪我をして泣いている子供が2人いた。

ある日彼女は、母親から包丁を向けられて「あんたを殺して私も死ぬ」と言われたとツイートした。一大事だと思った。彼女が本当に死んでしまうと思った。彼女の人柄は素晴らしい。彼女は絶望の中でも人を励まし、人の光の部分を描き続けている。そんな彼女が報われぬまま死ぬなんて、この世界は狂っていると本気で思った。だから私はまず自分が這い上がって、そこから彼女をすくい上げようと覚悟を決めた。

そこからの毎日はあまり覚えていない。必死だった。とにかく考えて、行動していたような気がする。泣いている彼女に大学の講義室から電話をかけた。夜行バスで13時間揺られて、彼女に会いに行った。私はわたしで、大学のカウンセリングを受けた。沢山の大人に相談して、協力を頼んだ。

私がひとりで死にたがっていた時は、こんな元気は無かった。苦しんでいる彼女を助けたいと思った時、私は自分の生きる道が見つかった。力が湧いてきた。彼女が元気になるまで、私は死ねないと思った。

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※私が愛してやまない三島由紀夫先生もこう述べているよ

4.幸せになるための戦い

創作活動を通じてたくさんの大人達にお守りをもらった。夜、一緒にドライブに連れていってくれた小説家の女性がいた。私をカラオケルームで抱きしめてくれた、小説とイラストを書きながら毎日お母さん業を頑張っている女性がいた。

「死にたい」

私がそうツイートした時、「雄大に死んでください」とリプライを飛ばしてくれた尊敬する方がいた。「死なないで」なんてありきたりで私の感情を否定する言葉でなく、最大限の優しさと寄り添いと、心地よい愛情に溢れた言葉だった。私を奮い立たせる、素晴らしい言葉だった。そんな愛を私にプレゼントしてくれる人がこの世にいる限り、二度と「死にたい」なんて言うのはやめようと思った。

借りていたアパートの大家さんが良い人だった。部屋にゴキブリが家に出ると、大家さんはゴキジェットを持って助けにきてくれた。裏庭の畑で採れた冬瓜をくれた。大学生のお子さんがいるお母さんだった。私が通っている大学で、通信講座を取って、弁護士を目指していると笑いながら語ってくれた。ある日、私は自分の悩みを打ち明けた。

「実は私、死にたいって思っていた時期がありました。私の友人も死にたいって言ってます。どうしたらいいでしょうか。」

大家さんは真剣な顔でこう答えてくれた。「私も小さい頃は家庭がめちゃくちゃで、女に勉学はいらないと言われた。死にたいと思ったことも何度もある。でもね、25歳までは何としても生きてみて。その後、もう一度、死ぬか生きるか考えてみて。嘘だと思って信じてほしい。」

私は色んな大人たちからもらったお守りを彼女に渡した。彼女がいつでも避難できる居場所を見つけて、そこに案内した。あれから、彼女と私は、お互いにそれぞれの道をがむしゃらに突き進んでいった。

そんな彼女が今日、25歳の誕生日を迎えた!

彼女は昔、漫画家になるつもりはないと言っていた。あくまで趣味であって、自分にそんな実力は無い、と。彼女は自分を信じることができないでいた。そんな彼女に「あなたは素晴らしいよ。あなたが自分を信じられなくても、私は知っているよ」と毎日伝え続けた。

そんな彼女は今、プロの漫画家として活躍している。

TVやラジオに出演し、サイン会が開かれ、尊敬する弁護士の先生と一緒に仕事をして本を出版した。

もちろん、彼女は今もしんどい出来事があるみたいだ。でも彼女にはたくさんのお守りがある。私も今、死んでいる場合じゃないくらい元気いっぱいで、やりたいことが山ほどある。私はわたしで、新しい人生のスタートを切ったともいえる出来事が起きている。第二の人生を私は楽しみ尽くすつもりだ。

私と彼女は、苦しいことも楽しいこともすべて受け止めて、自分を大切にしてこれからも生きていく。

5.さいごに

彼女に「お誕生日おめでとう」の手紙を書いている時に、気がついた。当時、2人で目標にしてお守りにしていた言葉。

「25歳までは生きよう」

彼女はもう忘れているかもしれない。私のエゴで自己満足だったかもしれない。でも彼女が幸せになれない世界なんていらないと私は激しく憤ったのを死ぬまで忘れることはないと思う。そして彼女の本を、本屋さんで手にとった時の感動も、ずっと抱きしめて生きていく。

「私達は昨日までの惨めな自分を、救ったんだ」


虐待サバイバーの体験談は、いつかnoteに残そうとは思っていた。「今日じゃなくちゃだめだ」と思い立ったきっかけは、河野先生の漫画だ。

「ブス界へようこそ」はまるで私の物語だと感じていたが、先生が20歳の頃に書いたという漫画は、まさに私と彼女の物語だった。

河野先生も色々あったと聞いている。生きて抜いて、漫画を書いてくれて本当にありがとう!!


河野先生の描く漫画にたくさんの女性が出てくるように、私のこれまでの人生は、ひたむきで小さくて、とびきり大きな心を持った優しく聡明な女性がたくさん登場した。

そんな私はこれから先、幸せな復讐を遂げていきたい。若くて、どうしようもなく苦しんでいる優しくて聡明な女性たちに「25歳まで生きてみて」の希望の呪いをかけていきたい。

「私達こそ救われなきゃ」
「このままじゃ終われない 今日までの自分救うまでは 私まだ死ねない」



悲しいけれど、このコロナ禍で家庭内暴力が増えている。私や彼女のような被害者に声をかけたい。優しく寄り添って、抱きしめたい。そんな気持ちを込めて、このnoteを締めくくりたいと思います。



【補足】

父は立場の弱い相手を暴力でコントロールしようとするのは今も変わらない。人並みのデリカシーと配慮を持ち合わせていない。それでも父は、彼なりに過去を反省し悔やんでいて、どうにか私達子供や母に償おうと自分を変える努力をしていることを、私は知っている。父は生まれたばかりの頃、実の父(私の祖父)に道に捨てられ、タクシー運転手に拾われ、母のもとにようやく帰ってきたような人だ。母子家庭育ちで大変苦労している。

問題なのは、誰かに守ってもらい面倒を見てもらう必要のある子どもたちが、心身ともに安心安全な場所で暮らせる構造、仕組みが世の中に足りないということだ。父を憎んでも意味が無い。父もまた被害者だ。

「罪を憎んで人を憎まず」

こんな父ではあったが、私は十分愛されていると思う。父は私に良い名前をつけてくれた。社会に出てから、自分の名前とその由来のお陰で、ラッキーなことがよく起こる。両親には感謝しているし、生まれてきてよかったと心から思っている。虐待されていた、という事実は消えないけれど、私にとってはもう、遠い過去の話だ。

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