トルコで独身貴族は出世できない!?

トルコで出版されている書籍を見ると、著者経歴のところに世帯状況の記載が多いことが目につく。この人物が結婚していて、子どもが何人いるとの情報が示されている。これは、ポップな本だけではなく、研究書や博士論文でも同様なことが確認される。当初、私にはこの意味が理解できなかった。が、以下の話を耳にしたことでその意味が理解できた。これは著者の社会的な信用を示すという意味で重要なのではないか、と。

トルコでは独身と世帯持ちとの間で、明らかな社会的な地位が大きく異なるという。

この話は、私がトルコに来る前に先輩の研究者から聞いていた。その人は留学時にすでに妻子がおり、家族でイスタンブルに二年間留学したのだという。賃貸を借りる際に、不動産屋から家族向けの街区にある家を紹介されたのだという。家族向けの街区であるので、独身者はそこには住めない。家族があるということは信用があることを意味するのだという。トルコでは独身者と世帯持ちとでは社会的なステータスが異なるという話である。

先日は、下宿先のおじさんからも同様の話を聞いた。この国で出世するためには、第一に結婚することが重要なのだという。ある責任ある仕事を任せるにあたって、独身者と世帯持ちとがいた場合、間違いなく後者に任せるのだという。独身者は信用がないものだという評価になるということだ。逆に言うと、世帯持ちは信用され、出世することができる。出生したいなら世帯持ちになる必要があるのであるとおじさんは言う。

独身の男というのは、社会的な信用がない、すなわち半人前ということらしい。

たしかに理解できないこともない。家族を抱える人と家族を抱えない人との間では責任感が違ってくる。前者は妻子を養う責任があるのに対して、後者はそういった責任がないからである。前者は下手なことができないだとう、とも考えられるのであろう。むろん、すべてがこれに当てはまるわけではない。家族を持っていても無責任な人も多いではないか。しかし、外形的には、家族がいるというだけで社会的には信用がもたれやすいのであろう。

こうした慣習は今現在も同様なのか。そして、すべての分野で共通する慣習なのか。現在はトルコでも女性の社会進出が進んでいる。既婚者の割合も下がっているという。こうした中で、独身男性の在り方も変わってきているのであろうか。

とはいえ、社会的には、やはり既婚と未婚とのあいだでは大きな差は依然として強いと思われる。とくにおじさんのような初老の人の間では。私も結婚しなければならない。

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