見出し画像

「フレンチトースト」

「一番好きな食べ物は?」という世界一の難問には、「そのとき食べているもの」と答えることにしている。

そのくらい、日本中の食べ物は甲乙つけ難いくらいなんでも美味しい。
苦手な食べ物はわかっているから口にしないし、花粉を食べない限りアレルギーもない。


そんな私の今日の好物は、フレンチトーストである。


私は甘党である。
それもあまり健康的でない部類の。
今日のお昼がこれであったと言えば、その意味はお察しいただけるだろうか。
朝・昼・おやつが、100%甘味で構成されることも珍しくない私である。
…当然、食べた糖分と脂質は余すことなく、私の身体に蓄積されているのだが。食べたカロリーは消えることはない、アインシュタイン先生もそうおっしゃっている。多分。

すぽんと空いた1時間半、以前から気になっていたチェーンのサンドイッチ屋さんに入ってみた。しかし、お目当てはサンドイッチではない。お店の手作りだというフレンチトーストである。
なんでも最近始めたメニューのようで、お店の口コミを覗いてもフレンチトーストを食べている人はいなかった。ちょっとしたギャンブル感を勝手に感じ、胸が高鳴る。


フレンチトーストというと平気で1000円を超えてくる昨今、こちらは単品で450円。それにホイップ追加で、プラス80円。そう注文してからしばらく間があり、「…以上ですか?」と店員さんに聞き返されて申し訳なくなる。以上である。私はサンドイッチではなくて、ただフレンチトーストを食べにきたのである。フレンチトーストはデザートではなくて主食なのである。少なくとも私にとっては。

お席にお持ちするのでお待ちください、と言われて待っている時間が好きだ。1人客がセルフサービスの水をとると、それをすすりながら所在なく店内を見回すくらいしかすることはない。

うなぎの寝床のような店内には、私と同じく1人客の男性が3組、等間隔で並んで同じ方向を向き座っていた。私も端の客から等間隔の席に陣取り、視界の端で彼らを見る。私に目もくれず一心不乱にサンドイッチを口に運ぶ彼らを見ていると、やっぱりそこはサンドイッチだよね、という気分になってくる。次回来る時はサンドイッチにしようと決意するのであるが、それが数十分後にはあっさり覆されることをこの時の私は知らない。

注文を聞いた店員さんその人が、狭い厨房でたてるジュージューという音が愛おしい。かと思えば、止んだ。ワンオペに相応しい狭い店内を芳香が包んで、その中を店員さんが一直線にやってくる。「おまたせしました」と出された姿に一瞬、準備していた「ありがとうございます」を失った。

神々しいお姿のせいで


私の撮影技術のなさをお許し願いたい。これでも十枚ほど撮って一番きれいに撮れたものなのである。

お値段から想定していた以上のボリュームの、黄金色のパンと純白の渦巻きがそこにあった。夢と希望と卵液の詰まった、水も滴るような黄色い断面。その隣、白い巨塔とでもいうべきホイップクリームの高さは、10センチはあると思われる。
店内手作りは伊達じゃない、出来立ての温かさに載せられて漂う香りを感じながら、我知らず不謹慎なことを思う。

ああ今死んでもいいかな。

だってそうではないか。人間そう常に最上級の幸せを味わえるわけはない。死ぬ時くらい、誰よりも一番幸せでいたいじゃないか。それなら、それが今だって。
心の中に現れた不謹慎警察に応戦しつつも、手はすでにナイフとフォークを持っている。ご存知の通り、フレンチトーストとは温かさが美味しさを増幅させるという、稀有なスイーツだからである。

ガタガタと揺れるテーブルごとナイフを動かす。卵液を遺憾なく吸い込んだパンが、じゅわりと歪んだ。それをフォークで一口、口に運ぶ。

甘さを煮詰めたような幸せの香りとともに、ソフトな口当たりを楽しむ。噛まずともじわりと滲み出る卵液は、まさに期待通りの味だ。フレンチトーストはパリパリよりしっとり派の私は歓喜した。そこに、慎ましやかに溶ける粉糖の甘さ。甘さの波に身を委ねていく。
パンの小麦と卵と砂糖、それが合体してできた焦げ目も至高。メイラード反応万歳。
端の方のわずかな浸かりきっていない部分からは、パンそのものの味と僅かな塩気を感じられる。

…完璧。
フレンチトーストとは、こういうものだ。

三口目くらいからは、ホイップクリームをつけて。

余談だが、私は人生でスイーツの類を「甘すぎる」と思ったことはない。お菓子を食べているのは甘さを欲している時である。だから、手加減など必要ない。とことん甘くしてもらって良いのである。昨今のテレビの食レポで頻発する「甘すぎない」という褒め言葉は、私には意味がわからない。

ホイップクリームに話を戻すと、
これが素晴らしく甘い。
おそらく業務用の安直なものだろう。そして、その中でも甘い方であることがわかる。植物性油脂を抱いた、ぽってりした甘さ。わかっていらっしゃる。私はこれが好きなのである。

トッピングというからにはホイップをフレンチトーストにつけて食べる想定だろうが、どちらも美味しいので一緒に食べてしまうのが勿体ない。結局それぞれ別で食べることとなった。全神経を口と鼻に集中させ、ものすごくゆっくりと味わった。側から見れば、食べる私の姿はまるでスローモーションのように見えたことだろう。

満足。大いなる幸せ。
今なら誰にでも優しくできる。なんなら私の幸せを配って歩きたい。

多幸感とともにお皿を下げ、店員さんにお礼を言いつつうなぎの寝床から這い出ると、待ち構えていたように店先のサンドイッチの看板が目に入った。

…だがしかし、これは次回もフレンチトーストだろうな。

あっさりと、数十分前の自分の決意を翻しながら。
諦めたように、しかし幸せを胸に、休憩を終えた。


ああ、今日誰にも好きな食べ物を訊かれなかったのが残念だ。
訊かれたら、すぐに答えたのに。

「フレンチトースト」

この記事が参加している募集

イチオシのおいしい一品

今日やったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?