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誰のために自分のために

どうもこんにちは。
PANDAひとみです。

ふと思ったことがあるので、今日はまた違う感じで言葉を重ねていこうと思います。

家族を守る方法

家庭を持つ方なら子供を守ろうとする瞬間は訪れますよね。
自分が我慢すればいい、そうすれば丸く収まる、とかね。

親の立場でいる時、そういう場面や考えは凄くあると思います。

時に引っ越しや離婚問題、様々な選択をしなければならない事もありますよね。

子供が一番大事だから

大事なのはいいけど、大事すぎて責任を子供に負わせないようにして欲しいな、と思います。

私は良く「あなたのためだから」「人生に役立つからコレはやっときなさい」と言われながら育ちました。

でもそんな事は子供からしたら、知ったこっちゃないです。
うるせー、なんですよ。
私の為、って為になるかどうか、私のモノサシじゃわからんのですよ。
うるせーめんどくせー、なんです。
でもそのうるせー、が言えませんでした。
怒られるから(笑)

この「〜ためだから」ってのはクセモノで、相手の幸せを望んでいながら実は「自分のエゴを押し付けてる」に過ぎないんですよね。
でも優しさだと思ったり、親切心だと思ったりしてるから、エゴには気づきにくい。
所謂「大きなおせっかい」です。

大きなおせっかいは、行う側は優しさや親切心を発揮している気分になれるのでそれは大層気持ちのいいものです。
寧ろ、いいことをしている感覚すらあります。
自分の考えを肯定されてる気分にもなるし、いい子としてる気分だし、そりゃあ最高です。

でも大きなおせっかい。

自分には不要で拒否しようものなら、相手は更に畳み掛けたり、時には傷ついたりします。

だって、相手からしたら「いいことをしている」訳です。
それが「正解」だと想っているからです。
でもおせっかいなんですけどね。

選択は自分、責任も自分

離婚などの大きな選択をする時「子供が言ったから」「子供のために」と、子供の意見を理由に選択する事を耳にします。
子供の意見と、自分の選択と責任を全部一緒にしちゃだめです。
だって、責任を子供に負わせるようなもんですよね。

子供の意見を聞いて、自分の意見を変えるのはいいんです。
でもそこで「子供が言ったから」「私が我慢すればいいから」はちょっと違うんです。

難しいかもしれませんが
子供が言ったから、私が我慢する
じゃないんです。

私が我慢を選択した
ってだけです。

子供からしたら、「子供が言ったから」なんて聞いた日にゃ、自分の発言のせいで「親が我慢することになった」って気分になります。
自分のせいだ、なんて思いますよ。
子供の意見と、親の我慢も別です。
我慢を選んだのは大人なんです。

子供に「親の私は我慢したのよ、良い親でしょう?偉いでしょう?」なんて見せる必要もないんです。
親ってだけで素晴らしいんですから。

自分の選択の理由に、子供を使わないで欲しいです。
子供は親の責任を背負うために存在してる訳じゃありません。
親の満足の為に存在している訳でもありません。

「あなたのためよ」は「自分のため」

「〇〇はこうしたら良いのに」「〇〇のためなのに」
と思うことも有るかもしれません。
でもそれは自分の思い通りにしたくて、コントロールしたくて、自分のエゴが疼いているということです。
優しさ、親切心、正義感、色々有るかもしれませんが、過剰になっているだけです。

自分を自分で容易くコントロール出来たら、もっと良いかもしれません。

「〇〇のために」考える時間は、巡り巡って「自分のため」です。
だったら、回り道をせず自分のために時間を使いましょう。

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