見出し画像

霊感商法や宗教の名を借りた犯罪について思うこと。それは価値観の隙をついた犯罪です。

お金よりも大切なものがあります。それは先祖の供養です。先祖の墓や仏壇を立派なものにしましょう。お寺に寄進したりして法要のたびにお布施をするのです。盆にはご先祖様をお迎えして送ります。

それは江戸時代にお寺を守るために作られた檀家制度です。本来の宗教は、哲学です。哲学者は思想を広めても財産は残しません。人を財産と見て管理しているのが宗教です。

宗教は場所を大事にします。その地の地縁に根付いた宗教を民族宗教とすると団体を作って全ての人に帰依することを望む普遍宗教に分ける考え方の対立が戦争を生んでいるように感じます。

財産を残そうとしてもそれを所有している人はいずれ死んでしまいます。そこでそれを死んでも残すには、団体の所有物にすれば良いのです。その団体は、家族、会社、社会、国、世界と広がっていて、自分はどの位置を大切に思いどの位置の価値観を持っているのかで考え方が変わると思うのです。

宗教法人となって、社会の利益にならない行動をしているのなら法人として認めないのは当然のことです。国として国の利益を阻害している個人がいたならば罰せられるのです。世界レベルで見た時に世界を破滅に追い込んでいる核の使用を認めないのは当然のことです。

自分の所属する団体のことだけを考えていたならば、善も悪もありませんがその上位にある価値観を理解して、その価値観と照らし合わせることで善悪を評価すれば良いのです。

国に価値観を持つ人は個人の価値観を悪だと評価する場合もあります。
例としては大事な子どもを戦争に追い立てる国に反感を持って戦争反対と唱える人に国は国民を守るためには反撃する兵士が必要です。戦いたくなくても侵略されないように戦力は維持したいと思うのです。

世界レベルの価値観では、戦争をなくして悲しむ人が無いようにしたいと思うのですが、国レベル、社会レベルには戦争になっても仕方がないという価値観の団体があるのです。

個人の価値観を世界レベルまで高めて、その価値観を宇宙レベルで評価できるのは人間です。偽物宗教の価値観に振り回されてはいけません。その価値観を評価する社会的価値観を持ちましょう。

上位レベルの価値観とは買いレベルの価値観を比較してその長所、短所を理解して評価できることです。

自分の世界から上位レベルの価値観を求めることが学ぶことであり自分を進歩させることになるのです。

#エッセイ #パンダのポッさん #一万個の幸せ #御坊市 #価値観 #宗教 #哲学