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【論考紹介】 “マンネルハイム線突破: ソ・フィン冬戦争におけるソ連の戦略的・戦術的適応” (BREAKING THE MANNERHEIM LINE: SOVIET STRATEGIC AND TACTICAL ADAPTATION IN THE FINNISH-SOVIET WINTER WAR, by Franz-Stefan Gady, 08.02.2023, WOTR)

1939年11月30日から1940年3月13日まで続いた“冬戦争”(第1次ソ連・フィンランド戦争)は、開戦から1月上旬までの前半期と、2月からの後半期に分かれます。

楽観的な見込みのもとで始めたこの戦争の前半期で、赤軍は極めて甚大な損害を被ります。その結果、ソ連指導部は攻勢を一時中断し、ティモシェンコに作戦指揮を任せることにします。

ティモシェンコは与えられた25日という準備期間のなかで、赤軍の能力を、最低限ではあるものの攻撃任務が遂行できる程度にまで向上させることに成功します。戦略面においては、全面侵攻からカレリア地峡突破に目標を絞ることで、戦力を極度に集中させます。

その結果、2月の赤軍第2次攻勢は成功し、ソ連は当初目標の完全達成はできなかったものの、軍事的勝利を達成することができました。

著者のガディ氏は、🇫🇮軍の優秀さと赤軍の無能さが対照的な前半期よりも、ティモシェンコによって赤軍が適応し、最終的に勝利した1月以降が重要だと指摘します。

もちろん25日という期間でティモシェンコが改善できる点は限られており、例えば機械化戦力による縦深突破を行う能力等を赤軍が得ることはありませんでした。

しかし、戦略的目標をマンネルハイム線の崩壊と、その背後のヴィープリ攻略に修正したことで、その限定的に向上した戦術能力でも目標達成が可能になりました。

一方で、前半戦において優秀さを証明したフィンランド軍は、なぜ敗北したのでしょうか。様々な要因はありますが、ガディ氏は西欧諸国からの軍事支援がなかったことを、現在のウクライナと比べつつ指摘しています。

さて、現下のウクライナにとって、冬戦争の教訓は?
ガディ氏は次のように指摘します。

「相対的に練度が低く、ひどい戦術で指揮され、装備状況が悪い徴集兵の軍隊でも、適切なリーダーシップのもとで、戦略的・組織的・戦術的な適応が実際にできるということが、重要なポイントだ」

もちろん、プーチンにとってのティモシェンコはいない、という意見もあります。だからといって、今のロシア軍が適応できない軍隊だと仮定するのは誤りかもしれません。

当時の赤軍は、ティモシェンコが改善に取り組んだあとでも、相変わらずひどい状態ではありました。「しかし、赤軍は大事なところおいては、それでも上手く適応することができた」のです。

なお、当時のドイツ参謀本部は、冬戦争前半期の赤軍のみを評価して、独ソ戦に突入しました。このことに関して、ガディ氏は次のように指摘します。

「ドイツの誤りを繰り返さないことが重要だ。ドイツの誤りとは、敵の失敗から間違って導き出した教訓を学ぶこと、敵の適応とその後の成功を無視すること、戦争全体の流れのなかで起こった事実に注意を払うのではなく、戦争のなかで自らの自尊心を正当化するのに好ましい部分から、一般化した結論を導き出す、ということだ」

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:A_Finnish_Maxim_M-32_machine_gun_nest_during_the_Winter_War.jpg
https://www.westpoint.edu/academics/academic-departments/history/world-war-two-europe

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