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消費されないでね。

特別な毎日を過ごしているわけでは無いけれど、日々を生きていく中で「擦り減り」を感じる事は誰にでもよくあると思う。
けれど、それについて過敏なほどに拒否的感覚を覚える人と、あまり気づいていないうちに擦り減っていく人がいる様な気がして、出来る事なら必要以上に擦れてなんて減ってなんて欲しく無いから、この事について自分の思う事を書いてみようと思う。

私は職場や学校でおとなの人に「いい子だよね〜」と言われると、いい子の前に"都合の"という枕詞が聞こえる。

自分に対してだけじゃ無い。

友達に向けられたクラスメイトの「〇〇ちゃんてほんと優しいよね〜」も好きになれなかった。
彼女がどんな風に思っていたかはわからないけれど、彼女の価値はそんな場所にあるはずが無い。そんな事に消費されていい様なものでは無い。

私も彼女も貴方も誰も人であってコンテンツでは無い。

もちろん自分をコンテンツとして売り出すと言う商売方法がある事も知っている。
けれどそう言うのって、価値を感じた人が対価を払って受け取るものでしょう。
価値も理解していない様な他人が勝手な都合で人を消費しようとするなんてあまりにも自分勝手で無作法ってものでしょう?
カツアゲヤンキーやん。勘弁してくれ。

時間も、言葉も、心も、間違いなく貴方のものだし誰かのもの。
当たり前のことだけれど、どれも目に見え無いからだろうか、軽視されがちな様に感じる。
「これくらいいいじゃん」
なんて言わないでよ。
これくらいがどれくらいかを消費する側が決めつけるのおかしいじゃん。
生産者さんの似顔絵が描かれた地元野菜に、「こんなんただの葉っぱなんだから金取るなよ」って言うんか?
例えそこが産地から少し離れたスーパーマーケットだったとしても言えないよ。
別にコーンフレークに対してだって言えないけど。
どれも誰かが費やした何かなんだよ。
何食わぬ顔で勝手に消費して良いものでも、されて良いものでも無いと私は思う。

言ったもん勝ちみたいな世の中だからさ、そんな非常識で心無い誰かの行動や言動に振り回される事が確かにある。くそみたいだよ。やってらんねぇって思うよ。
だけどしょうがないなんて思わないで欲しいんだ。
しょうがない訳ないんだから。舐めてるじゃん絶対。貴方の時間には言葉には心には延いては貴方自身には、必ずもっときちんとした価値があるはずなんだよ。
だから出来るだけふざけんなって思ってて欲しいし、黙って飲み込まなくて良い。断ったって良い。当然だし。
だけどもし、これを読んでくれた貴方がそう思えなくなっちゃった時があったら教えてほしい。
その時はそいつにも貴方にも私がブチギレようじゃないか。

だからどうか、こんな過酷な世の中で生きていくのだからどうか、必要以上に擦り減らないでください。

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