見出し画像

孤独と付き合うということ

このタイトルに取り組むには、まだ私は幼すぎるかも知れない。
ただ現時点での見解を記録として、ここに書き置きしておこうと思う。

孤独な時間とはとても尊いものだ。
自分と向き合うために、物事を捉えるために、誰かを愛するために、必要不可欠なものだと考える。
また孤独は、対人関係で疲弊した心を癒し、ささやかな安らぎを我々に与えてくれる。
しかしながらこの”孤独”あまり良い言葉として使われていない場面が多く、否定的な感覚を持っている人も多い様に感じる。
今回は「孤独は取り扱いによって、私たちをもっと自由にしてくれると思うの」のお話です。

孤独を友とするメリットを前述したが、次は孤独がなぜ否定的に捉えられるのかについて。
これは純粋に寂しさや退屈が結びついているからではないだろうか。
そう、独りは寂しい。独りはつまらない。
その感覚はきっと、でも決して間違っていない。
けれど、その寂しさとは何故なのか、その退屈とは何故なのか、そこと向き合うことが孤独と付き合う際のポイントになると思う。

私は「寂しさとは自信の無さからくる心細さ」なのではないかと考えている。
自身のコンプレックスを他者との関わりで誤魔化すということはよくある。
その用途で言えば優越感も劣等感も同じだ。
また、誰かに縋っていないといけない様な気がしてしまうのも、きっと大きなコンプレックスからくるものだろう。
しかし、それを根本的に克服するために必要なものは何だろうか。

私は「退屈とは自身の空虚さそのもの」なのではないかと考えている。
独りが退屈なのは自身を楽しませるだけの思考やそのテーマを持ち合わせていないからだ。
独りで物事を楽しむ事ができないが為に、退屈凌ぎの社交に出て「ああ、退屈だ退屈だ」と抜かす。
退屈凌ぎのつもりが、わざわざすり減りに行ったことになる事だって少なくないだろう。
そこに何の意味が持てようか。
そして、この退屈こそが孤独の全ての敵であると、哲学者ショーペンハウアーの著書で読んだ事があるが、これはまさにその通りだと思う。
先に述べた寂しさもこの退屈が呼び起こす一種の現象と考えることが出来るだろう。
自身の中に熱中するべきテーマが無いから、くだらないことばかり考えてはその空虚さに凍えるはめになるのだ。

つまり、孤独と付き合う際のポイントとは、自身の中の思想あるいは思考を深めることだ。
このポイントを抑えることで、孤独は自身にとってとても良い友となってくれると私は考えている。
孤独とは自由であり、自由とは孤独だ。
このまとわりついた孤独を飼い慣らさなければ自由にはなれないし、退屈さに耐えかねて自由から逃れようとすれば有意義な孤独は手に入らない。
誤魔化す事ではなく、適切に(この場合適切という言葉が適当であったかは少々自信がないが)この孤独と向き合う事は、どういった道を選ぶにしても安定感を持たせるといった意味で、幸せのための重要な一つのポイントにすらなり得るのではないだろうか。


ちょっと偉そうな物言いだったかも知れません。。
お鼻についたらごめんあそばせ🙏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?