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美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多…

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美術館より街場の生活文化。音響の整ったホールより街かどで奏でられるバイオリンの音色。多様な人々が行き交い様々な出会い、人々の暮らしが共振して街になる。大学は芸術学(観衆論)、大学院は公共政策学(創造都市)

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    時計の針が進む、そのスピード。20年前にはIPhineはなかった。つまり、この20年はただの20年じゃなかったんだ。どの世代だって、今に合わせて、自分の認識をアップデイトできているだろうか。

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    横浜市に18ある行政区のうち、わずか6区しか海岸線を接していないヨコハマ。でも港町のイメージで語られる。そんな港町の港近くにひいばあちゃんから四代150年近く家に生まれた僕のヨコハマ雑感。

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小さなスナック

L字のカウンターだけの店だから扉を開けた途端、常連が揃ってこちらを一瞥…という店もある。 その「圧」は生半じゃない。 ここはお店なんだけど。 でも居心地はいいから…

papa grayhair
6か月前
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いっとき。スタバやドトールだらけになって、そのうちスタバやドトールも店舗数を減らして、少子高齢化、中流崩壊といわれる、この国の市場規模に見合った店舗数に落ち着いていくんだろう。でも、だからといって「個人店」が、その流れに巻き込まれるとは限らない。

papa grayhair
6時間前

三度再び、本屋さんについて

うちのオフクロの実家には「本」が無かった。子どもの頃には高校生だった叔母の部屋にも「本」はなかった。 ビートルズのドーナツ盤はあったけれど。 実家があるご町内に…

papa grayhair
18時間前
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きのうは夏の陽射しだった

papa grayhair
1日前
4

アメリカは哀しい

エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」 切なく、寂しそうな画… ホッパーだけでなく オキーフや、ウォーホールや リキテンシュタイン、バスキア… 僕が大好きポー…

papa grayhair
1日前
3

分水嶺

1961年生まれの僕が、まだ小学5年生か6年生だった頃のことだ。 その頃、神奈川県相模原市の「米軍相模補給廠基地」からは、いよいよ激しさを増すベトナム戦争の戦場…

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2日前
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a day

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3日前
6

everyday life

papa grayhair
4日前
4

トレンドを追いかけるような自分を修正できなければ、これからは時代に置いてゆかれる。

papa grayhair
4日前
3

僕らの老後

企業通貨…文字通り「企業が発行するお金」だ。 おなじみの「カードのポイント」も企業通貨の一種。もちろん企業通貨というくらいで国家の中央銀行の管理下にあるお金では…

papa grayhair
4日前
6

粛々と未来へ

規則で縛り、統制する。 高橋源一郎さんはご子息の入学式に「あれは入学式ではなく入隊式」との感想を述べられた。でも、これは一糸乱れぬ集団生産が生産効率を上げた時代…

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5日前
5

復興

「みなとみらい」に並行するようにある「桜木町」という街は、1丁目から3丁目が「中区」に属し、4丁目から7丁目が「西区」に属するという変則的な町組み。西区は中区か…

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6日前
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people sing about love

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6日前
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道草

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6日前
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函館とヨコハマ

横浜市の総人口は372万人ほど(2015年)、市役所の一般会計も1兆9、156億円(令和6年度/2024年度)くらい。 対して函館市は総人口27万人弱(2015…

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7日前
8

ビジネスな街

函館という素敵な街があって、そして(例えば)「五島軒」という 素敵なお店があるんだと思うけど 逆に「五島軒」という 呼ばれてもショッピングタウンには出店しなそう…

papa grayhair
7日前
3
固定された記事

小さなスナック

L字のカウンターだけの店だから扉を開けた途端、常連が揃ってこちらを一瞥…という店もある。 その「圧」は生半じゃない。 ここはお店なんだけど。 でも居心地はいいからそうなるんだろうな。スタバじゃこうはならない。ありえない。チェーン店の居酒屋でもそう。システム上、ありえない。 そう。 あたたかい「ゆりかご」のようなコミュニティほど、外から見れば、高い壁に覆われているものだ。 それも見えない「壁」。 だから厄介だ。 内側にいる人は気が付かない。ただ新参者だけが感じる 「

いっとき。スタバやドトールだらけになって、そのうちスタバやドトールも店舗数を減らして、少子高齢化、中流崩壊といわれる、この国の市場規模に見合った店舗数に落ち着いていくんだろう。でも、だからといって「個人店」が、その流れに巻き込まれるとは限らない。

三度再び、本屋さんについて

うちのオフクロの実家には「本」が無かった。子どもの頃には高校生だった叔母の部屋にも「本」はなかった。 ビートルズのドーナツ盤はあったけれど。 実家があるご町内にも、商店街なのに「本屋」さんは無かった。薬屋さんの店先に雑誌がささったラックがひと竿あるだけだった。 オフクロの家系には、親戚の家にも「本」は無かった。「勉強」は学校の成績を上げる方便で、教科書や参考書も、短期間、暗記すべき対象に過ぎなかった。 今もオフクロの近くに「本」はない。図書館にも行かない。 さて。

きのうは夏の陽射しだった

アメリカは哀しい

エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」 切なく、寂しそうな画… ホッパーだけでなく オキーフや、ウォーホールや リキテンシュタイン、バスキア… 僕が大好きポール・デービス。 20世紀のアメリカ合衆国で傑出するといわれる彼の絵画も、悲しさ、寂しさ、無力感に包まれている。 高校生の頃、ポール・デービスを模写しようとした。 無意識のうちに、あのもの悲しさまでコピーしようとしていたのかな。 今もそうだけど、負け組のアメリカに親近感を覚える。 あの銀色の長距離バスに乗りた

分水嶺

1961年生まれの僕が、まだ小学5年生か6年生だった頃のことだ。 その頃、神奈川県相模原市の「米軍相模補給廠基地」からは、いよいよ激しさを増すベトナム戦争の戦場に、たびたび戦車や自走砲が送られていた。 送られるのは横浜港瑞穂埠頭から海路で。これを、大学生を中心にした若者たちや労働組合の人たちが阻止しようと実力行使に出ていて、機動隊などと衝突。埠頭の入口付近は、子どもたちにとって「近づいてはいけない」場所だった。 この「実力行使」の中に、後に社会党(当時)の委員長になる飛鳥

everyday life

トレンドを追いかけるような自分を修正できなければ、これからは時代に置いてゆかれる。

僕らの老後

企業通貨…文字通り「企業が発行するお金」だ。 おなじみの「カードのポイント」も企業通貨の一種。もちろん企業通貨というくらいで国家の中央銀行の管理下にあるお金ではない。 でも、僕らは溜まったポイントで(日本で言えば)「円」と同じように買い物をすることができる(使える範囲は限られているとしても)。コンビニでは、オリジナル・ブランドの食品だけでなく「円」と同じように雑誌を買うこともできる。 各企業は、収益の社内留保に熱心で、しかもグローバルな多国籍企業ともなると、資金力は小さ

粛々と未来へ

規則で縛り、統制する。 高橋源一郎さんはご子息の入学式に「あれは入学式ではなく入隊式」との感想を述べられた。でも、これは一糸乱れぬ集団生産が生産効率を上げた時代には有効だったかもしれない方便だ。 「みんなで」も効かなければ、「分担」もできない。そういう仕事こそが収益を上げる。とっくに、そんな時代になってるんだけど、まだまだ「これまでどおりでいける」という幻想の中にいるのが、わが国。 円安が単純に為替の問題ではない所以だ。 ご承知のように、アップルは工場を持たない。アイ

復興

「みなとみらい」に並行するようにある「桜木町」という街は、1丁目から3丁目が「中区」に属し、4丁目から7丁目が「西区」に属するという変則的な町組み。西区は中区から分区してできた区だから、恐らく分区以前が桜木町にそのまま残ってのこうなったんだと思う。分区は戦時中の空襲対策だったし。 桜木町というわりには桜並木があるわけでもなく、鉄道高架の長い壁と、雑居ビルが立ち並ぶだけの空虚な空間というのが、子どもの頃からのこの街の印象。 今は、その雑居ビルの多くが中高層のマンションになった

people sing about love

函館とヨコハマ

横浜市の総人口は372万人ほど(2015年)、市役所の一般会計も1兆9、156億円(令和6年度/2024年度)くらい。 対して函館市は総人口27万人弱(2015年)。市役所の一般会計は1432億円くらい(令和6年度/2024年度)。 この数字だけを見れば函館市は横浜市の10分の一以下の都市ということになる。でも、これは、あくまでも「量」的な比較であって、それ以上でも、それ以下でもない。 五島軒の創業は1879(明治12)年、つまり創業145年。その間、継ぎ足し継ぎ足し、継

ビジネスな街

函館という素敵な街があって、そして(例えば)「五島軒」という 素敵なお店があるんだと思うけど 逆に「五島軒」という 呼ばれてもショッピングタウンには出店しなそうな。そういう 素敵なお店が数々あって、それで「函館」という街の魅力が形づくられているのかもしれない。 今のヨコハマあたりだと、そういうお店は、案外、稀有…というか無い。確かに関東大震災に被災し空襲の被害も大きかった上に、いっときは都心部の大半が占領軍に接収されたけど、函館にだって大火や空襲被害がなかったわけじゃな