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コーチング

コーチングとは、本人特有の感情や思考のはたらきを行動の力に変えることで目標達成や自己実現を促す、コミュニケーション技術。

だそうである。

僕がイメージする「野球のコーチ」とは、その「コーチ」、特に「目的」の部分で、微妙なニュアンスが異なるもののように思える。

Wikipediaには「ヒューマンポテンシャル運動の中心エサレン研究所で行われた潜在能力開発実験、そこから生じた自己啓発セミナーをルーツとする」とある。また「自己啓発セミナーに起源をもつと言うこと以外に世界的に合意された明確な定義は存在しない」とも。

「多対多で行われる自己啓発セミナーに対し、コーチングは1対1で行われる」という記載もある。つまり「コーチング」は、あくまでも「コーチング」という名詞で「自己啓発」から派生したもの。むしろ「カウンセリング」と近接している行為なのだと理解した方がよさそうだ。

やっぱり「野球のコーチをする」とは別ものなんだろう。

あ。

Wikipediaにはカウンセリングが治療、コンサルティングが「解決策の提示」を目的とするのに対し、コーチングはクライアントが目標を達成することを助ける「支援」を主な目的とするという記述もあった。

近代的な分業っぽいが「相談」についてのニーズが高まていることだけは事実なんだろう。世の中には「孤独」が蔓延しているし「群れの中の一匹」という環境では、孤独を癒すことはできないからね。

「治療」「解決策の提示」「目的達成を支援」

ちょっと前まで、親戚のおじさんがそういうことをしてくれたし、ともだちがそうだったんだろう。でも、今は、そういう相談も…しにくいかな。相談されても「重い」とかね。それこそ、カウンセリングやコーチングを勧められちゃいそうだ。
喫茶店のマスターやや駅前スナックのママさんもそういう役割を果たしていたんだろうけれど、彼らは、今や絶滅危惧種だ。

「治療」してもらいながら「解決策を提示」してもらって「目的達成を支援」してもらう。

そういう社会が遠くにいっちゃったようで、ちょっと寂しいな。