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キレイの基準

キレイに基準はない。

こうしたらキレイになるという、確定した要素はない。

でも人はキレイを欲する。

どうしたら得られるかもわからずに。


キレイって実際、謎めいた要素だ。

お金でもない、センスでもない。

求めたからといって、得られるものでもない。


キレイと純粋は近い。一緒なのかもしれない。

生まれた時は全員純粋だったはず。

どこで汚れたのか。(笑)


人はキレイに惹かれる。どうしようもなく惹かれる。

そのために大金だって投じる。そのくらい欲しいから。

でもお金とキレイは没交渉。

手に入るかもしれないが、入らないかもしれない。

キレイはそんなところにはいない。

どこにいるとも言えない。だから欲しくても手に入らない。

むしろキレイは、そんなところにいないで欲しいとすら思う。

そんなところにいないからこそ、キレイはキレイなんだ。


さあ、我々にできることはなんだろうか。

キレイのために我々ができることはなんだろうか。

ぶっちゃけ何もない。

どうしようもなく、何もない。

キレイはキレイであり続け、そして我々は我々であり続ける。

クロスしない、交わらない。

欲した時点ですでに、キレイの不在を自覚している。

キレイは在ったためしがない。

いまだかつてキレイは、人の手が捕まえたことはない。


キレイは自覚した時点でどこかへ行っている。

それは無意識の中にだけ存在する、手に触れることが不可能な女神。

我々はキレイの前に立ちすくむだけか?それしか為す術はないのか。


キレイはどこにもいない。実際、どこにもいない。

でも、空想の産物というわけでもない。ある。確実に、ある。

人の手が捕まえられない場所に、それは確実に、ある。


求めても得られない。

それは求めても得られない。

なぜならそれは、すでに持っているから。

それは外ではなく、内にあるから。

そこにはない、そこじゃない。

そこじゃなくて、ここにある。

ここ。

自分の中に。


キレイに魂が震えるのはなぜか。

それは共振を起こすから。

キレイの振動数は真っ直ぐにあなたの心に届き、同じ振動数で心を震わす。

キレイと同じものが、あなたの心にあるから、だから心は震える。

あなたはすでにキレイである。自覚はできないけど。

五感は外のものを捉えるためにある。

自分の感覚で、自分の内にあるものを捉えることはできない。

だからあなたは知らない。自分がキレイであることを。

でもあなたは間違いなくキレイである。

あなたが心を震わせるそのキレイと同じキレイを、心の内に持っている。

キレイは自覚はできない。

でもあなたは外側にあるキレイを通して、自らのキレイを知ることができる。

あなたがそれをキレイと感じるのは、同じキレイを内に持っているから。


たくさんキレイに触れるといいでしょう。

そのキレイはあなた自身だから。



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