上原京平

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上原京平

写真に限らず自由に書いています。思ったこと、考えたこと、感じたこと。写真はほとんどフィルムとライカと50mmです。ブログのほうではもちょっと専門的なことを書いています。→https://papacame.com

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  • テクニックの先にある写真

    写真をテクニックやハウツーで撮る時代が終わった方へ。その次の写真へのご案内。

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    テクニックやハウツーで写真を撮る前に知っておきたい、写真のキホン。

最近の記事

新しい写真の撮り方のススメ

直感。 それは一種のナビゲーターだと思う。 「これがいい」とか「そうじゃない」ということを教えてくれる。 「なぜ?」と言われても、わからない。 理由なく湧き上がってくる。 それは理由がないがゆえに、容易に無視されてしまう。 でもよく考えてみたら、この感覚はすごい。 何もないところから湧き上がるって、むしろすごい。 「これこれこうだから」とか、「こういう理由があって」とかないのが、逆にすごい。 この直感が、写真を撮る上で最大のカギになると思う。 この直感を、

    • 心を震わせろ

      noteを物色していると、自分の美しさを自覚していない人がまあまあいるなと気づく。 なんだか苦しいみたいな、何かが間違っているみたいな、不安とも恐れともつかない吐露をちょいちょい見かける。Twitterでもよく見かけるけど。 そのストレートな感覚は純粋で美しいなと思うこともあるけど、基本的には面白くないからか、あんまりいいねはつかない。 なぜならそこに表現されているのは、不安や恐れだから。 いくら仲良くても、不安や恐れにはなかなかいいねはできない。(笑) 不安や恐れ

      • カメラという生き物

        すでにお気づきの方も多いかと思いますが、カメラはある意味生き物です。 複数台所有されている方なら、気が付くと思います。 キャラクターの違い、自分との関係性の違い、主張してくる感覚の違い。 それは一種の人格を持った存在です。 人が思いを込めて作った、その思いが反映されているのかもしれません。 開発にかける意気込み、時代背景、工夫した機能、それらが混然一体となったたたずまい。 防湿庫で出番を待つサラブレッドたちの鼻息が、今日も聞こえてきます。 … こういっては何で

        • 光について思うこと

          自然光が好きだ。 光ってきれいだなって思う。 きれいなものってだいたい光ってる。 「キラキラしてる」っていうしね。 身近にありすぎて簡単に見過ごしてしまうけど、光って本当にきれいだ。 自然光がきれいなのって、それが自然だからだろう。 人口の光は、目的があって光ってる。 でも自然の光は、目的がない。 意味がないってとても純粋だ。 「ただ光ってる」って、こんなにきれいなことがあるだろうか。 光が織りなす世界のキャンバスには、意思があるようにも思える。 無意思

        新しい写真の撮り方のススメ

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        記事

          面白くない人は面白くなれるか?

          最近noteを読んでいて、面白いことに気づきました。 それは、面白い文章と面白くない文章がある、ということです。 ある意味当たり前のことかもしれませんが、この差はどこから生じるのか、そしてこの差を埋めることは可能なのか、と疑問に思ったので、以下考察を進めます。 面白さとは、コンテンツじゃなくて「人」まず、面白い人の文章は、基本全部面白いです。 そして面白くない人の文章は、基本全部面白くないです。 これはつまり、面白さはコンテンツに依存するのではなく、それを生む人に依

          面白くない人は面白くなれるか?

          ライカについて語る

          どうしてライカを使うのか。 私の場合その理由は、「信頼できるから」である。 この場合の信頼は、カメラボディの信頼性の意味ではない。 タフで頑丈で壊れにくく、どんな環境でも間違いなく撮れるという意味の信頼ではない。 「信じられるカメラ」なのである。 そんなことを言うとまた宗教めいてるとか言われそうだけど、正直な感覚を言うとそうなるのだから仕方がない。(笑) 「信じられるカメラ」なのである。 ウソをついてないのである。カメラが。 この人は信じられるのです。一緒にい

          ライカについて語る

          キレイの基準

          キレイに基準はない。 こうしたらキレイになるという、確定した要素はない。 でも人はキレイを欲する。 どうしたら得られるかもわからずに。 キレイって実際、謎めいた要素だ。 お金でもない、センスでもない。 求めたからといって、得られるものでもない。 キレイと純粋は近い。一緒なのかもしれない。 生まれた時は全員純粋だったはず。 どこで汚れたのか。(笑) 人はキレイに惹かれる。どうしようもなく惹かれる。 そのために大金だって投じる。そのくらい欲しいから。 でも

          キレイの基準

          最後のフロンティア

          前の二つのポストでも触れていますが、何を見ても、何に触れても感じる「だいたい一緒感」。 同じような感覚を抱く人はいませんか? 目先鼻先は違えど、すでにどこかで見たような感じ。 結局同じ感覚がするわけです。 味は違えど「ごはん」という意味では全部一緒、みたいな。 いろんな味があって楽しいけど、そもそも「食べる」という意味では全部一緒、みたいな。 そもそもこれは、食べることに飽きたのか? あるいは過度に刺激を受けすぎて不感症になるみたいな? なにしろ今の世の中情報

          最後のフロンティア

          表現の本質

          久しぶりにnoteを開いて、流れてくる他人の文章を読んでいて、ハタと気づきました。 「全然読めない」(笑) 面白くなさ過ぎて、5行と読めない感じです。 もちろん全部ではありません。面白い記事もたくさんあります。 しかし同じくらいの多くの記事が、面白くなさ過ぎて全然読み進めることができませんでした。 「あれ、これって自分の記事にもいえること?」 自分の記事も、他人からしたら面白くなさ過ぎて、全然読めないのかもしれない。 その可能性に、今初めて気づきました。(笑)

          表現の本質

          写真の今後と世界の今後

          最近写真を撮ってない。 「飽きた」ということは、ありますね。 逆によくもまあ同じことを何十年と続けてきたなと、そっちのほうがびっくりです。(笑) 一通りやり尽くした感はありますね。 「写真ってこういう感じ」みたいな、どこをどう探索しても、すでに知ってる場所、みたいな。 何にどう触れても、「ああね、はいはい」みたいな。すでに知ってる感。 もちろん見た目は確かに新しい。技術の進歩も素晴らしい。 でもその奥にある「感覚」に、既視感を禁じ得ない。 写真である必然性は薄

          写真の今後と世界の今後

          「いいね問題」に終止符を打つ

          インスタで「いいね」の数が見れない仕様になったりもしましたが、いかにも我々は、いいねの数が気になって仕方がないですね、ハイ。 いいねの数はつまり他人からの評価であり、その写真の価値を裏付ける客観的な指標とも言えます。 そんな大事な数字を見れなくしてしまった意図は、「数値に左右されることなくコンテンツそのものを楽しんでほしい」とか、「過剰ないいね獲得競争抑制のため」などとされています。 いいねに左右されることが「弊害」だというのです。 いいねの当否や意義は別として、これ

          「いいね問題」に終止符を打つ

          「表現」を超えてゆけ

          写真は「表現」だと言いますね。 つまり、伝えているわけです、何かを。 何も伝わらなかったら表現じゃない。 いい写真とは「伝わる写真」。 そんなふうにも言われます。 そういう意味で、写真はどれも一緒です。 フォロワーが何百万人もいる人から、つい昨日始めたばかりの人まで。 全員「表現」という土俵の上で、相撲を取っている力士です。 幕下から横綱まで、番付はいろいろありましょうが、表現という土俵の上で相撲を取る力士という意味では、全員一緒です。 やっていることはみん

          「表現」を超えてゆけ

          一番見たい写真、そして一番撮りたい写真

          ネット上に日々洪水のようにあふれる写真たち。 それらの写真は、みんな何かを目指している。 「ただの写真」ではない。 全部みんな、何かを目指している。 それはカッコイイだったり、カワイイだったり、キレイだったり。 あるいは面白いだったり、スゴイだったり、オシャレだったり。 そして、大抵それらは十分達成されている。 十分カッコイイし、十分カワイイし、十分キレイ。 十分面白いし、十分スゴイし、十分オシャレ。 「ほー」とか「へー」とか言いながら、堪能する。 満足。

          一番見たい写真、そして一番撮りたい写真

          写真集から得るもの【森栄喜「intimacy」評】

          ずっと気になっていた森栄喜の「intimacy」を手に入れた。 今さらだけど。(笑) 2013年度(第39回)の、木村伊兵衛賞受賞作です。 この写真集は、今ではすっかり一手法として定着した、いわゆるグランジっぽい撮り方で撮った、日常のスナップ。 ウィリアム・クラインあたりを始祖とするならば、1950年代からある特別真新しくもない手法であり、昨今これ系の写真は巷に溢れかえっている。 そして基本的にコレ系は好きじゃない。 「やってない感じを演出したやってる写真」という

          写真集から得るもの【森栄喜「intimacy」評】

          写真生態系論

          いろんな人のいろんな写真を見ていると、つくづく思う。 全部いい。 どんな写真にも、それを撮った人の意図と工夫があって、写りのバリエーションが様々にあって、写真への取り組み方も様々にあって、全部いい。 これはもう、プロもアマチュアも関係ない。 本当にもう、全部が同列に見える。 フラット化する写真。 凸凹としていた写真は、徐々にならされて、フラットになってきた。 昔は高峰のような存在もいたけど、今はもうそんな時代じゃない。 機材はならされ、テクニックはならされ、表

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          選ばれない者たち

          選ばれる人たちがいる一方で、選ばれない人がいる。 生まれてこの方、一度も選ばれたことのない人たち。 選ばれることなく、人生を終えていく人たち。 選ばれるってなんだ。 どうしてあの人が選ばれて、僕が選ばれないのか。 選ばれた人たちは嬉しそうだ。 選ばれなかった僕はくやしい。 … あなた。 そこのあなたです。 選ばれなかったことを嘆いているあなたです。 あなたは選ばれる必要のない人です。 だから選ばれなかった。 あなたは選ばれる人ではなく、「選ぶ人」です

          選ばれない者たち