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安易な "生産性向上" が、組織の息の根を止める

 今日は結論から。安易な生産性向上云々が、組織を殺しかねない。

 至る所で、「効率への最適化に囚われ続けられないよう、探索と適応を始めよう」と話している。
 その際に、合わせて「とはいえ、私達の仕事は効率を上げていかないと、グダグダのままではどうにもならない」とも言うようにしている。そう、効率への最適化が全くダメでゼロにしろという話ではない。むしろ、改善が必要不可欠なのは言うまでもないことだ。

 生産性向上が現場や組織の中で掲げられるのは当然のことと言える。同じ価値提供を実現するにあたり、かかるコスト(時間、費用)を減らしその分を別のことに回していく。そうやって、私たちは価値の再生産、拡大につとめていく。

価値提供と生産性がつりあう状態

 だから、不用意に時間や人件費を投じるようなことは避けて、生産性を研ぎ澄ましていくこと。ムダのない筋肉質な体制、プロセスを講じていくことは組織内で「正しいこと」と目されやすい。
 探索適応のような、あてもない、不確実性の高い行動は、相反することになる。仮説検証、UXリサーチ、アジャイル、デザイン思考…この手の「答えやアウトプットが確実に得られるかどうか分からない」活動や方法は、 "生産性向上" の前では脆く、葬り去られやすい。

 局面によって、生産性向上を重視し、選択することは経済合理性、その他の事情から当然にあることだ。ただ、こと現代の日本組織、事業において、安易な「生産性向上至上主義」は悪手どころか、気が付かないうちに組織の息の根を止めてしまいかねない。本当に気が付かないうちにね。

 顧客やユーザーにどれほどの価値提供が、今できているのか? 生産性向上云々の前に、まずこちらが前提だ。価値提供がろくにできていない、顧客満足があまり得られていない中で、生産性向上に振り切ってどうするのか。
 これが、DXを必要としている事業や、"踊り場" にきている事業で直面する、意思決定の誤謬だ

 かつては確かに価値提供が出来ていたかもしれない。でも、今も、そうであると判断できるほど顧客のことを理解できているのか? 顧客が見えていない、見えなくなってしまっているからこそ、組織に変革が求められる構図が存在する。まず、顧客のほうをみろ。
 あらためて顧客を見て、価値創出にリソースを割かなければ、「今」の顧客はもちろん、「未来」の顧客とも出会えぬままだ。

価値提供と重点活動との不一致

 カスタマーサクセスと、生産性とどちらを取るのか? は通常は意味のない問いだ。どちらも重要に決まっている。だが、カスタマーサクセスが怪しいところで、生産性を取るとしたら、順番がおかしい

 … と、ここで筆を置こうと思ったが、もう1つ付け加えておきたい。観点は、カスタマーサクセスだけではない。現代組織においては、「エンプロイーサクセス」も、カスタマー観点と同様に見る必要がある。組織のメンバーが、やりがいなく日々をモヤミながら営んだ結果としての "高い生産性" なるものにどれほどの意味があるだろう。やはり、順番がおかしい。


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