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真の震災復興とは

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東北地方に出向く機会に恵まれたので久しぶりに被災地の一部を巡ってみた。最近大震災から10年という節目もあり、テレビで取り上げられていた大川小学校に行った。ここを最初に訪れたのは2011年であっただろうか。

あの年は仕事で、ボランティアで足げく通った海岸線。初めての大川小学校は一面土で覆われ、本来の車道であるアスファルトは砂利などで見えなかったように思う。住宅街の津波後は家屋の基礎が残っているものだがこの大川小学校の周りはそれすら残っていなかったのでこの周りに住宅があったことに気づいたのは最近だ。それくらい水の勢いが凄かったということだ。

この大川小学校、どうやら震災遺構になるらしく、トップの写真は一枚だけだがまわりを整備している最中であった。その様子を見てとっさに思ったのはこの学校を見世物にするため復興特別税という名のもと徴収したお金で周辺が整備されている、ということだ。 その整備のやり方が過剰な気がどうしてもしてしまうのだ。

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複雑な思いで南三陸へ向かった。1~2年のペースで来ているのでどこも変化していく過程をダイジェストに見てきた。

さんさん商店街から歩いて防災対策庁舎へ。最初に目に飛び込んできた風景がこれ。防災対策庁舎に向かう橋だ。

とても立派なのだ。新しいのできれいなのは省いたとしてもこんなものに多額のお金が使われたと想像できる。これ必要?

海から続く平らな土地に建っていたこの庁舎も周りはかさ上げされ、公園として整備し、見下ろすような感じになってしまった。その一変した周辺の環境に驚いた。

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あまりにも立派なのだ。ここに山から運んだ土砂を投入し、公園として整備した。その労力と時間と金額を想像する。

ここは人が住んではいけないことにしたはずだ。それであれば土地のかさ上げは必要ない。広大な土地は平らなまま公園、野球場、サッカー場、テニス、ラグビー場などにして遊具を置いて憩いの場で良いのではないだろうか。

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庁舎を震災遺構として、人々が震災を忘れないように残すのであれば町であったこの場所を、元あった道路を残してそのまま原っばのほうが説得力があるような気がする。お金もかからない。

復興のための税金は全面的に被災して家や家族を失った人たちに還元すべきではないのか。こんなモニュメントや不必要な土地のかさ上げにお金が使われるのは真の使い道ではない。この風景の中にたたずみ、ずっと複雑な、やりきれない思いでいた。

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この足で陸前高田に行ったらますます嫌な気分になると思ったのでやめた。

防潮堤や周辺を工事している様子を見ると復興、復旧のための正しい事業なんだな、とつい考えてしまう。しかしこの公共工事。日本では〇〇のため、とまことしやかな正しそうな理由で自然をぶっ壊してきた。海に砂浜はなくなり、防波堤や突堤をこしらえテトラポッドを置いた。山や川では防災の名のもとにコンクリートで覆ってきた。そういうことを意識しながら見ていくと上流にも下流にも人が住んでいない所の川でダムやら堰やらが作られていることに気づく。もう日本はいじるところがないくらい自然が不自然と化している。

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この震災復旧工事でも同じことが行われているのではないか。本当に必要な公共工事だけをやろう、という方向にいつ舵を切るのだろうか。

アメリカではダムを壊す工事が始まっている、つまり自然に戻すという記事を新聞で見たのは何年前だったろうか。

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