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摂食障害について

「年末年始でぽっちゃりしたから軽くダイエットするわ」

そう宣言するや否や、友人知人からの美味しいお土産やお歳暮を頂いたり、珍しい面々が揃った飲み会に呼ばれるのは、「引き寄せ」ってやつですか?
母にいたっては、私の宣言を覆さんとばかりに、ケーキやらシュークリームやらおはぎやらを買って来て、
私、年始からめちゃくちゃ試されている気分です。

別に、短期間で数キロ増えたからってなにも……。
という、一瞬の甘い考えが後に大きな後悔へと膨らむ前に、この時期は毎年食事管理・運動に力を入れる時期となっております。
年齢的に今はまだ、ほんの少し意識を変えるだけで体型は元に戻りますが、いつまでもそうってわけにはいきません。
今のうちに「体型のテンプレ」を身体に覚えさせて、ちょっとやそっとじゃ変わらない見た目でありたい。
老いに抗ったって、時間はどうにも止められないのに……
とも同時に思うのですが、
それでもやっぱりこだわってしまうのは、仕方のないことです。
だって、ずっと綺麗でいたいと願うのは古今東西、老若男女、そうじゃないですか?

自意識より美意識を上げる



私は、どこまでも美意識の高い人が好きです。
容姿に限らず。
けれど特に、見た目の美意識が高い人が好きです。
努力の結果が目に見えるから。

そしてその美意識が、自分の目指す方向性とかっちり当てはまる人に出会うと、その人を目標にしたくもなります。
その人が使ってる美容アイテムや食事、生活リズムを真似て、自分も同じように美意識を向上させる。
ロールモデルがいれば、そこに近付くにはどうすればいいのか、やるべきこともはっきりとしてきます。
同じ物を食べて、同じサプリを飲んで。同じ筋トレをして、同じ服やアクセサリーを買って、同じスキンケアをして……。

分かれ道はどこだった?


そうした結果、18歳の頃。
私は体を壊しました。
からだだけじゃなく、精神もほとんど崩壊していたように思います。
あまりに執着するあまり、美しいかそうでないか、その物差しでしか人や物事、そして自分のことを捉えられなくなりました。

まず、自分が決めた食材以外、口にすることが出来なくなりました。
その偏食っぷりったら、今にして思えばかなり狂っていました。
揚げ物なんてもってのほか、数年間は、春雨以外の炭水化物もまともに食べられませんでした。
常にお腹を空かせていたから、食べられないのに、皮肉にも頭の中は食べ物のことだらけ。
同じ車両で誰かがグミの袋を開ける瞬間が、はっきりと分かりました。

面白いくらいに、痩せました。
「綺麗になったね」
褒められるたびに感じたのは、喜びでも満足感でもなく、不安感と強迫観念でした。
今の自分以下になったら、誰にも振り向いて貰えなくなる。
綺麗じゃなくなったら、存在価値が下がる。
そう思うと、体重が50㎏を切っても、偏った食事制限をやめられず、むしろさらに厳しく制限するように。
もっともっと痩せないと。
と自分を追い込むことで、どうにかその不安を払拭しようとしていたのかもしれません。
身長は今と変わらない。170㎝でした。
47㎏をきったとき、生理が止まりました。
そこから約二年間、無月経でした。
煩わしい月のものからも解放されて、痩せていいことばっかりだと思った当時の私の異常性を、今なら自覚出来ます。
でも、その頃の私にとって最もストレスフルだった言葉は
「食べろ」
でした。
私に食べることを強要する人は全員、悪でした。それが家族であったとしても。

摂食障害


誰もが簡単に陥りやすい精神疾患。
昨今、若い女性を中心に急速に蔓延しているそうです。
とてもよく理解できます。
ショッピングセンター、スーパー、電車、駅、会社、テレビ、スマホ……。
どこに行っても、
「"美"ってこう!」
というメッセージが目に飛び込んできて、いつの間にか私たちの無意識の中に入り込み、客観性を奪い、まだ地盤の緩い柔らかい心に「恐怖心」という根を張ります。

「ちゃんと親から愛情を受けて育ったらそうはならない」
摂食障害の根本は、幼少期の親(特に母親)との関係性にあるという主張もありますが、ほんとうにそうでしょうか?
それだけでしょうか?
愛されて育ったと思っている(思い込んでいる?)私は、そうとも言い切れないんじゃないかという気がしてなりません。

これからじっくり掘り下げたい



当時の私と同じ体型でも、健康に害がない人もたくさんいます。
私と全く違う食事スタイルでも、似たような体型の人もいます。
今だから言えることですが、もうね、ほんっとに人それぞれなの。
人には人の乳酸菌って、ほんとそう。
人には人の性質があって、どれひとつとして、同じものは無いわけです。
だから、「あの人みたいになりたい!」
と目標を掲げるのはいいけど、それは、まず自分の性質を把握してからじゃないと、自滅の道に走るハメになるんだと思いました。

精神的なものだから、完治したとは言えません。
完治しない、とも言えません。
目には見えない心のことだから、いつになっても分からないままです。
分からないことを不安に思うのが、人間の性質のひとつであると思います。
今は私も、ようやく人並みの食事が摂れるようになりました。
ようやく、です。
20代前半は、過食、嘔吐、偏食を繰り返しました。

それまでの経緯は、また書きます。


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