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物思ひに耽る

花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに

小野小町

美しい桜は、むなしく春の長雨が降っていた間に 色褪せてしまった。
私自身がむなしく時を過ごし、もの思いにふける間に。

こちらも桜の季節になると、頭の中からよく聞こえてくる歌。
特に、この歌の情景の通り桜の季節の雨の日はこの歌をしみじみと感じます。

小野小町は絶世の美女だったと言われており、この歌も花(=桜)の色が衰えていく様を、自身の美しさが衰えていく様と重ねたであろうとのこと。

でも桜は満開の時も、もちろん美しいけれど、散っている時もその儚さが本当に美しいですよね。

満開の時とは違う美しさ。

小野小町は、自分が衰えていくことに悲しみを感じ嘆きつつ、でも心のどこかで衰えつつある自分さえそれはそれで美しいという自信があったんじゃないかなとわたしは密かに思っています。

だからこそ褪せても散ってもなお美しい桜に自分の褪せていく様を例えられた。

光陰矢の如し。時が過ぎるのはあっという間。
だから悩んでる暇なんてない、前向きに生きよう。やりたいことやろう。

そんな声をよく聞くし、私もその通りだと思います。そしてそうありたいと思っています。

でも、「悩むだけ無駄」なのでしょうか。
何も生産的なことをせずむなしく過ごしている時間はただ無益なだけなのでしょうか。

否。物思いに耽るような、一見『無益な』時間無くして『美しさ』は存在しないのではないでしょうか。

小野小町だって、どうしようもなく物思いに耽ることのある人生だからこそ、美しい歌を詠めた。

桜だって、咲いている時以外はあまり見向きもされず、でもそんなこと気にせず、きっとひとり物思いに耽りながら、静かに日々生きている。

時がきたらこの世の全てを照らすかのように咲き、ハラハラと散っていく。誰かが見ていようが見ていまいが。


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