宮崎たかのり

不思議体験や悟り・覚醒体験をつうじて、わたしの人生の目的は 『地上天国を創って喜びを分…

宮崎たかのり

不思議体験や悟り・覚醒体験をつうじて、わたしの人生の目的は 『地上天国を創って喜びを分ちあう』ことです。セラピストとして十数年経ちました。 瞑想から自分自身の内面を探究してきたことなどなど、スピ系のおはなしが中心になります

最近の記事

悟りの極意を知りたくありませんか?

何のことは無い note初めて4周年だそうだ noteのマーケティング戦法 お見事であります しかも4月中に、本日までということですが 記事を投稿すれば6カ月連続だそうな 忘れがちなわたしに向けて? のメッセージ? いろいろと策を頭の中で 張り巡らせてはみたものの 結局こういう形に落ち着いてしまった ああ、なんと無情な しかも先ほど偶々見てしまった おススメのインスタリール 何処の誰かもわからないが お腹の肉を凹めるのに 筋トレなんかしてもね ということで座る姿

    • 肉体スーツが先か覚醒が先か?

      また今回のタイトルは理解できる人は いるのだろうか? 等と思いつつも付けてしまいました 人生いくらか生きてくると おおよその人は何かしら自分の中にある 幼少期からの未解決問題の影響を受けて 度々、繰り返しおこることがあるものです これらの問題があるからこそ その部分を解消したいと思い 各種セラピストのセッションなどをうけて 解放していくのですが 悟り、覚醒体験が起こり 宇宙の仕組みなどを理解すると これらの肉体スーツ特有の問題も スピリット(魂)の存在の自分から観てみる

      • 悟るということについての考察 その2

        前回の記事である『悟ることについての考察』を読んでみると なんとも不完全な終わり方で締めているので気になっていたのですが 続きを書いてみようかと思います 読んでないという方は上記からどうぞ 仏教感では解脱すること、すなわち輪廻転生の 魂の循環から退くということが目標点なのですが 味わい尽くしたのちならばそれもアリかな なんて思うのですが制限が沢山ある肉体を持ちながら 楽しむことは勿論ですが何かを体現することも ひとつではないでしょうか? その過程においての悟る(私的には

        • 悟るということについての考察

          悟ることは気づくこと と以前から何度も書いてきています これはわたし自身が体験したことに基づき 言っていることなので あくまでも個人の思う悟りであるのです では世間一般、というよりも仏教界では どのように捉えているのか? きちんと仏教自体を勉強してきたわけでなく 仏教でいうところの悟り 再度、確認してみようとネットで調べてみました 岩波の仏教辞典なるものがあるので その中から抜粋したものを観てみよう 『悟り さとり[s:bodhi] 迷いの世界を超え、真理を体得するこ

        悟りの極意を知りたくありませんか?

          内側と外側と分離

          わたしたちは通常 生きているうえであまり意識しないと思うのですが 入れ物である肉体スーツ 中身の操縦者である魂 このふたつに分類されます それは内側と外側とも 言われたりします 外側の世界は3次元地球上の 現実と思っている世界です 探究始めの頃はこういう理屈は 頭で理解できます 瞑想続けていくうちに 魂としての内側と肉体としての 外側も感覚的に判ってきます ワンネスの体験をすると ミナモトってのか 根源というのか みんなひとつの根っこみたいな とこに固まっている なん

          内側と外側と分離

          虚無について

          悟りなどの探求を始めると 虚無という言葉に出会います 仏教の世界観ではこの虚無とは あらゆるものが無情である 無。。。 何もないこと 宗派や人それぞれに この虚無の捉え方も違うのかと 思うのですが 私が悟り体験をしたすぐあとに ある種の絶望感を抱いた時がありました すべて決まっている そう、大きな視点から観たときに そこには何もなく肉体スーツの世界に 降り立った世界はある意味その瞬間から 決まっているような世界であって そこに意味があるのだろうか? 初めから決まってい

          虚無について

          3次元世界に生きるということは

          今回は少しだけ矛先を 現実の世界で起きていることに フォーカスして書いてみたいと思います まずその前に大事な 前提としてあるのが なぜ?私たちがこの3次元地球に 生を受けて生きているのか? Youは何をしに地球に? ということです 細かくは人それぞれに在ると思うのですが 大雑把に言うと体験しに来ている と思うのです 悲しみの体験に来ているという方も あれば困難の体験に来ているという ことから楽しさを体験しに来ている というとこまで多種多様ですけども なにしろ何かを体験し

          3次元世界に生きるということは

          次元上昇?

          スピリチュアル系統で度々耳にする 『次元上昇』 という言葉。もしくはアセンション。 そのむかし、わたしも随分とこういう言葉を 発信してきたものです この世界は多次元構造になっている というそもそもの前提あってのことですが いま私たちが生きている世界は3次元と呼ばれています さらに4次元、5次元といくつもの世界が存在していて ということから成り立っています 多元宇宙論、マルチバースから由来していると 思うのですが推論に過ぎないという人いるわけで 理論での説明は不可能か

          妄想と現実

          探究を始めて瞑想をつうじて 世間で言われるている いわゆる一瞥体験などをした後に 注意したいことがあります 悟り体験をするまでの過程でも あることなのですが 観ている世界が己自身の 創り出している思考の世界を 本質の世界のように捉えてしまうこと もちろんこれはわたし自身も 体験してきたことでして 本質の魂レベルの世界を観ている などと思ってしまうのです (いまでもその可能性は無きにしも非ず) 実際は肉体スーツである 3次元の自分の思考が創っている 妄想に過ぎないのです

          瞑想と意識の使い方

          悟りや覚醒を得るために 瞑想をおすすめしているのですが 世の中にはいろいろな瞑想法が 存在しています ヨーガなども瞑想重視のグループが あったり、ここ数年では マインドフルネスなんてのも 流行っていますね 自分の心の中を見つめなおす という方向は共通項だと思います 瞑想をする目的が明確であることが 一番大事なことだとは思います わたし自身も最初は誰かの瞑想会に 出てみたり、お付き合いで他のかたの 瞑想会に出てみたりしてきました もちろん自身で瞑想会も相当数開催 してき

          瞑想と意識の使い方

          自然や宇宙と繋がることで。。。

          5月31日までに記事投稿すると 4カ月連続投稿になるとのことで記録更新 になるから投稿しませんか? なんて案内がnote様から届いていましたが 気が付いたのが5月終わりまで2日ほど前だつたので 記録更新はお預けとなりました とあるエッセイの募集のほうの締め切りも迫っていたので 致し方ないのですが、文章を通じて表現するというのも 得意な方の脳が欲しいなんて思ってしまいます と、こんな出だしから6月最初の記事は始まります 悟るということでこの世の仕組みを 少しでも知ってしま

          自然や宇宙と繋がることで。。。

          非二元ノンデュアリティの感覚の後には。。。

          まずノンデュアリティとは? 何なのか。。。 ノンデュアリティって何?という人もいることでしょう 悟りだったり覚醒に興味がなければ 無縁の言葉となりますが。 ノンデュアリティを日本語にすると、 非二元性となります。 どちらかというとノンデュアリテズムですかね、 正確にいうと非二元論かな。 非二元論というインド哲学や宗教の考え方の一部、 といわれています。 一般的に、二元論とは、対立する二つの概念があるときに、 それらを対立するものとして区別する考え方を指します。 例えば、

          非二元ノンデュアリティの感覚の後には。。。

          なぜ?世界は平和にならないのか?

          なぜ?世界は平和にならないのか? 10代の頃からいつも、なんで? という疑問を持ってこの問題をながい間 考えてきました 神秘体験をした後は 地球の平和を真剣に考えていて 個人的に瞑想するたびに平和なエネルギーを 天上から地上へと送ったりしていました しかし、いつまでもやっぱり戦争のなくならない 世界が拡がっています どうして? 戦争は無くならないのだろう? 敬愛するジョンとヨーコさんの残した 偉大なことばに 『 WAR IS OVER  IF YOU WANT IT』

          なぜ?世界は平和にならないのか?

          錯覚

          随分とお久しぶりの投稿となりました また少しお付き合いください 『悟ること』や『悟り』に対する私たちのイメージは どんなものでしょうか? 多くの人、もちろん昔の私も抱いていたのですが 悟った人や悟りって穏やかで自我に左右されることなく 真我の状態でいられる 転じてなんでも思い通りに生きることができる とか覚者と呼ばれる人のように何を聞いても答えてくれる なんてイメージする方も多いのではないでしょうか 果たして実際はいかがなものでしょうか 悟りの定義にもよりますが 自

          IN AND OUT

          IN AND OUT YING AND YANG 陰と陽 内側と外側 吸って 吐いて といくつか キーワードを並べてみた 究極の2極の世界が わたしたちの生きている地球です 原子に目を向けてみると プラスの原子核のまわりを マイナスの電子が回転しています 陽の周りを陰が廻る だけども陽である原子核の中身は 実は陽だけでなく中性子という存在ありきなのです つまり物質的な世界において 2極だと思っていた世界にじつは もひとつの要素もあるのですね 粒子というツ

          悟りって何?。。。って何?

          いきなりの表題ですが わたしなりに自称悟った人で 悟ることは気づくこと と標榜しているのですが 気づくことと述べているように それは、誰かの書いていることを 咀嚼して納得するものでもなく 昔から言われていることをそうだと 言うのでもなく 自らの体験を通じて 悟るという体験をしたときに ああ、これなんだな! と思うことであると思うのです それなので このnoteのシリーズでも 過去に書いてきたブログの記事でも同様に これはあるひとりの体験談なので

          悟りって何?。。。って何?