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非二元ノンデュアリティの感覚の後には。。。

まずノンデュアリティとは? 何なのか。。。
ノンデュアリティって何?という人もいることでしょう
悟りだったり覚醒に興味がなければ
無縁の言葉となりますが。

ノンデュアリティを日本語にすると、
非二元性となります。
どちらかというとノンデュアリテズムですかね、
正確にいうと非二元論かな。

非二元論というインド哲学や宗教の考え方の一部、
といわれています。

一般的に、二元論とは、対立する二つの概念があるときに、
それらを対立するものとして区別する考え方を指します。
例えば、善と悪、正義と不正義、存在と非存在、自己と他者などが
対立する二元論的な概念です。
このように二元的に考えることによって、我々は世界を認識しています。

この真反対、対極にあるものが非二元なわけで、
すべてはひとつであるという考え方です。
ワンネスなんていう表現もこれになります。

みなさん、知っての通り、
この地球上では肉体としてのわたしが存在していて、
その肉体スーツに魂としてのわたしが存在している。
という大前提があります。

陰と陽のように対極のものがふたつでひとつ
とセットになっているのがこの3次元地球です

悟りや覚醒体験を求めていると、
やがてワンネスというすべてはひとつに繋がっていて、
一つの存在という感覚をつかむときが
やってくるかと思います。
そのときには、わたしもあなたもただ在る。
という感覚になったりします。

そうなるともう、すべてはひとつ、
という世界観の中に入り込みます。

それは真理のひとつでもあり、心地よいといえば
すこぶる心地よいわけなのですが、
なぜゆえに?
この肉体スーツを纏いし地球上に今、
存在しているのか?

ということもすこし考えてみてください

対極するふたつでひとつ
これが地上世界です。

すべてはひとつでわたしも居なければ
あなたも居ない
ただ在るのみ
と思考しても肉体は存在しているのですね

この矛盾する状態のなかで
二元的な肉体を持ちながら非二元の世界に
生きることが最終目的とも言えなくもないのですが

はたしてそうなのでしょうか?
最初の頃、わたしもそういう境地を
目指して探究したものです


真理はひとつですが、
真実は人の数だけなので、あなたが
何を選んできたかはわかりませんが、
少なくとも何かの体験をしに来ているという方が
多いのではないかと思います。

非二元論ノンデュアリティの体験をしてから
暫くワンネスの世界に浸っていると、
やがて浸かりっぱなしというのもなにか、
囚われているような気がしてきたりするものです。

これはわたしの体験を通してのことなので
すべてのひとがそうだとは判りかねますが、
おおよそ一瞥体験や悟り体験をされた方と
お話をすると共通している人が多いです。

幻想とも呼ばれているこの3次元地球でのこと
気になり始めるのです。
そうなると、もう気になって気になって
自分は何しに地球に?

なんて次の探求科目がムクムクと
湧き上がってきます。

振り返ってみますと、非二元ノンデュアリティの
世界も通過過程のひとつのように思えます。

聖人君子になることを選んだあなたも
いることでしょう
何度か書いてきましたが
わたしは、悟りを得た時に大笑いの世界にいました

そしてまだまだ、肉体スーツの世界ももちろん
楽しみ足りない、もっと楽しんでみよう。
いや楽しみに来たのに何もないというあの世の状態に
浸っていられないぞ!

なんて思ってしまったのです。
起こることすべて必然で起こり、
良いと感じる時も苦しいと感じる時も
そのすべてが楽しみであり楽しんでしまおう
ということなのです。

そうして、やっぱり地上天国をここで
体現したいんですね。
なのでずっと同じことを楽しみながら続けているのです。

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