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フランス留学するまでの道のりpart4

こんにちは。ぱれすぅ〜です。
あれよあれよと続いてしまっているこのシリーズ。
すみません。私、フランス留学を決めた高校時代から約6,7年かけて準備したもので。一個一個節目を書くだけでも、だいぶ長くなってしまってます。
でも、皆さん、ご安心ください。part5が道のりの最終回です(まだかい)😅

今回は、ぱれすぅ〜の飛躍第三章大学編入(日本)での様々な発見です。

前回の記事はこちら↓



編入のうだうだは他で書いているので飛ばしまして…


フランスに高校時代留学した経験(part1)、バレエに対する情熱の再燃(part2)、そして新しい夢に向けてフランスに行って情報収集したこと(part3)を面接でぶつけまくり、なんとか東京外国語大学の3年次編入に合格。今まで失敗続きだったぱれすぅ〜はこの時、初めて神に感謝しました😇
まあ、でもpart2でも書いたように以下のような「後ろ向きな前向き」姿勢で臨んだ試験だったので、落ちる準備万端なところにきた吉報みたいな感じですw

落ちても居心地がいいところにいられるし、受かったら受かったで嬉しいだろうし、とりあえず自分がやりたいと思う分だけ勉強しよう。やりたくなければやらなくていい。自分がしたいことを論理的にちゃんと説明できるようになろう。

フランス留学するまでの道のりpart2より

でも、合格した事実だけが大事なのではありません。
この編入は、学費の苦難を軽減してくれただけでなく、ぱれすぅ〜が新たな挑戦をするために必要な種をいくつか撒くことにつながっていってました。

分岐点4. ゼミの先生との出会い

大学編入をしてまず一番良かったなぁと思ったこと。それはリス先生(仮名)との出会いでした。
このリス先生。実は編入時の面接官3人の中の一人でして、私に鋭い質問をいくつか投げかけてきた先生でした。でも不思議なのは、ものすごいインテリジェンスを感じさせる人なのに、質問責めされても怖くなかったこと。他の先生の一人が、スーツを着こなすビジネスウーマン的な当時の言語文化学部学長だったのもあり(威厳マックスで怖かった…)、リス先生の質問内容には戸惑いつつも、優しい先生認定を勝手にしていましたw

でも、結論から言うとリス先生は本当に優しいです。

当時はまだ教授、准教授ではなかったのですが、某海外文学(専門を言っちゃうとバレるので、ぼかします)のトップの先生に続く将来有望な研究者の一人でした。それにも関わらず、当人はとても真面目で誠実、驕り高ぶるどころか常に自分に厳しい、私にとっては研究者としても人としてもドストライク!な人です。

リス先生のキャラ話はこのくらいにして、当時入ったリス先生の仕切るゼミは「芸術」で言語や先生の専門分野に縛られない自由なゼミでした。なので、同期は文学や音楽、ファッション、映画など芸術分野の一片をそれぞれ研究しプレゼンするといった内容でゼミが進んでいました。
ぱれすぅ〜はというと、もちろん舞踊。当初は西洋舞踊でやっていましたが、バレエは特に国を一つに限定しない性質も持ち合わせていたので、ゼミではフランス以外のことをやったりしていました。
リス先生はもちろん文学専門で、ぱれすぅ〜や同僚たちの分野に精通していないこともありましたが、研究者として必要な方法論やアイディアをたくさん提示してくださり、『舞踊学』という学問分野として成立しきっていない研究に片足を突っ込んだぱれすぅ〜としてはとても為になるお話が満載でした。
※この時の先生の助言の数々は、フランス大学に入った時もとても役に立ちました。

そしてぱれすぅ〜がリス先生を大尊敬する理由。それは、一学生のまとまらない研究を見放すことなく、真摯に見守り支えてくださったこと。
リス先生は舞踊関係の研究者の友人を呼んで3人で食事会を開いてくださったり、卒論で悩んでいた時もたくさん相談に乗ってくださったり、大学院入学の手伝いをしてくださったり、感謝しきれないほどたくさんサポートしてくださいました。
そんな優しい先生との出会いのおかげで、「フランスで舞踊を学術的に分析する」ことに興味が沸き、フランス留学を諦めず進めたのだと思います。

分岐点5. クラシックバレエ部の存在


前回の記事で軽く書きましたが、フランス留学するためのお金に不安が残っていたぱれすぅ〜。バレエの練習も続けなければ、フランス留学への道が遠ざかる。しかし、バレエの練習費はバカ高い!
そんな時、とてもお世話になったのは外大にあるクラシックバレエ部の存在。
元々田舎出身のぱれすぅ〜からすると地元のバレエ教室に行く選択肢はなく、当時は東京の数々のオープンクラスを梯子してばかりで、結局舞台から遠ざかりモチベーションだだ下がりだったわけですが、このクラシックバレエ部のおかげで練習量が増えるだけでなく、自分で振付や構成を考えたり、先生側にたち同僚や先輩後輩に教えたりする経験を積むことができました。
元々人に教えることが好きなぱれすぅ〜。バレエではなく、塾や家庭教師のバイトも大学入学時からやっていて、「できないをできるにする喜び」を共有する時間がたまんないタイプ。
初めて振付に携わった時も、4人グループの踊りで私以外は全員先輩、出会ってから数回しか会ったことがない、みたいな状況でした。初めての経験だったことからも振付の方向性がなかなか定まらず先輩方を振り回していましたが、先輩方は信じて待ってくださり、最終的には納得のいく作品をみんなで協力して作り上げることができました。
他にもクラシック作品の構成を部活仕様に再編成したり、地域イベントに参加してコンクリート上で踊ったり、コロナ禍でも映像で楽しめるように大学中をアラベスク(バレエのポーズの名前)行進したりと、バレエ少女時代以上に謳歌した青春を送りました✨

そしてもう一つ、この部活に入って良かったことは自分の踊りを収めたビデオを見れるようになったこと
みなさん、えっ?と思われるかもしれませんが、この部活に入るまでは自分の姿を収めたビデオを見るのがとてつもなく嫌いでした。何せ、自分の理想からは遠い姿で、強迫観念みたいなものを感じていたのかもしれません。
しかし、先生のいないこの部活では、一人一人がビデオを見返してどうしたらいいかを考え合う場が多かった。最初は嫌で見ていたビデオも、みんなのアドバイス交換や自分自身への注意意識を繰り返して修正していくと、不思議と理想通りじゃなくても見れるようになるもの。しまいには、「どこを通したらいいか確認したいからビデオを早く見たい」というマインドになっていました。
すると、面白いことに、踊りにある程度自信も持てるようになっていました。
今になって思えば、ビデオを見て理想通りじゃないことへの恐れがなくなり、現実の自分はどうしたら改善されるかが先行するようになったのだと思います。
この心境の変化はフランスに留学した後に受けたバレエの実技試験にもつながっていきます。

分岐点6. 編入仲間との出会い


編入をして良かったことの一つに、異色なタイプの人たちと数多く出会えたことが挙げられると思います。
大学や専門分野によって人のキャラが若干違うように、外大生の中にもぶっ飛んだ人は大勢いるんですが、編入生はまた一味も二味も違う人が集まっていました。編入生同士で飲みにいったりクリスマス会をした時は自分の知らない世界観を持っている人がたくさんいて、「自分の好きなように生きるってこういうことなんだろうなぁ〜」と思ったのを覚えています。
その中でもぱれすぅ〜が一番仲良くなったのはボーテさん(仮名)。彼女は日本の大学では珍しく私のひとまわりほど上の世代の方で、かつて看護師だった人。旦那さんの出張がきっかけでイタリア語を勉強し、その後日本の大学で心理学を学んだ後、外大の編入でイタリア語言語学の方に行った方。ボーテさんの経験は一大学生の想像をはるかに超えていて、話を聞くだけでもとても面白く、そしてとても謙虚。すごい勉強家で努力家な一方、人柄がとてもとっつきやすい方だったのもあり仲良くなりました。
編入当時は現役生ほどエリートではないという引け目から精神がぐらぐらな時期もありましたが、ボーテさんとの出会いを通して「優秀さよりも情熱を持ち続けることの大切さ」を学び、「邪道結構!バレエ愛とフランス愛の為には多少他人より時間がかかってもやってやろうじゃないの!」というマインドを持つようになりました。

もっと書きたいことは盛り沢山ですが、今日はここら辺でお開きにしたいと思います。


順風満帆だった大学3年生。しかし、この後、4年生はあのcovidの影響に伴い、ぱれすぅ〜的暗黒期が訪れます。
最終回ではコロナ時代の葛藤から留学までをお届けます。
お楽しみに💖
では〜!

次回、シリーズ最終回↓


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