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どの親も子どもを就職させたがってると思うなよ。

先日ちらっと大学3年の息子と話していたら、「暇だからそのうち実家に帰ろうかと思っている」と言う。どうやら、周りがインターンがどうのこうのとか就職モードになっていて、自分はやることがなく「暇」らしい。こういう話をすると「おまえも活動しろよ!バカヤロー!」ということになるのが普通っぽいが、どういうわけか全くそういう気にならない。とっさに浮かんだのが、「はっ?就職活動?こないだ大学に入ったばっかだろ?あたしは、うちの子をもっと教養ある大人に育てたいのであって、別に<就職>させるために読み聞かせとかやってきたんじゃねーし。」という考えだった。

そういえば、大学入試の説明会に行ったときも、大学主催の保護者の会なるものにいったときも就職実績の話ばっかりしてたわと今になって思い出した。確かに、うちの息子は一年時は全く学校に行かず、単位を落とさなかっただけで友人からバンザイ三唱されるようなロースペック男子である。しかし、あえて言うが、おそらく問題なのはこのスペックの「高低」ではない。なんというか、つまり、子育ての終わりをそんな唐突に学年で決めんなよ!という不満みたいなものだ。なので、彼が高スペックであっても同じである。

多くの母(父)親は、自分の子供の幸福を願って、彼らをできるだけ高スペックに育てるために、約20年の歳月を注ぎ込む。その間の自分の成長や自己中心的な生活を脇においてである。その20年を、ちゃちゃっと決めた(決まった)「就職」とその後の単調な日常生活に矮小化されるのは親としても嫌なのである。

私が自分の息子を大学にやりたいと思ったのは、自らの経験を振り返って、地方にいては覗けない世界、出会えない人、これまでとは異なる場所の空気を味わって、自分の頭で考え自由に選択し、その選択がどうであろうと納得しにこやかに前に進んでいく力と仲間を育んでほしかったからである。

なので、宣言する。私はシングルマザーでお金はないが、できるかぎり「子供の自由」、「モラトリアム」をサポートする。じっくり時間をかけて自分の人生を考えよ。社会のお役にたつのは、それからでいい。ということで、仕事するか!

サポートしていただけるとウレシイでっす!