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敬意を表することは、良いことだと思っていた。しかし…

GTOです。

特別養護老人ホームにて介護をしています。

いま、私の目の前では、殆ど話さなかった利用者さまが、どんどん話してくださるようになっています。

その、きっかけは?

まず、ショックだったことがあります。

それは、ある相手から

「馬鹿にされた」

と感じた出来事。

実はGTOも同じで、その人を馬鹿にしている感覚だった…何故なら、、

GTOは「その人を持ち上げようという意識で接していた」からです。

「誰かを馬鹿にしてはいけない。尊重すべきだ」

この考えは当然だったし、そう振る舞う様に努力することは尊いことであり、その考え自体に何の疑問も無かった。

しかし、その人には愚かに見える一面があった。そしてその人の愚かな一面は、その人を知る全ての人が話題にしていたことだった。

ー 他人に対してしていることと同じことを自分にもしている ー

この絶対的なルールの中で私達は生きている。

今回目が覚めた。

俺は自分のことを馬鹿にしているのかーーーー!

という事が分かり、ショック。

どうにもショックでした。

(関係性については、自分と自分との関係性しか存在しない世界ですから)

今までの正論

「馬鹿にしてはいけない。尊重し、敬意を表することが大切だ」

が崩れた。

私の敬意は偽物・偽善。表面的な薄っぺらいものだった。

そもそも、そんなことを考えてしまう人は、「自分のことを馬鹿にしている人だけ」だ

そして「敬意のフリ」しか出来ない。

それが私だった。

敬意を表しようというのは行為だった。

そして、そのように動いてしまうのは

「私は、相手だけでなく、私自身をも馬鹿にしています」という人だけだ。

私は

利用者さんと話す時、自分の計画、思惑、正しさ、期待、理想など、いろんなものを無意識に持ち込んでいました。

そして、相手に敬意を表しようという時、こういう自分の都合があっては無理だ。だからそれらを当然、持ち込まない様にする。

そして、敬意を表するということ、それ自体も、実は自分の都合だったということです。

「敬意を表さねば」

そんなことを考えることもない世界✨

利用者さんや職員さんとの空間に、そういったことを、何も持ち込まなくなるほど、、

本当におもしろいですよ🤣

そういう世界の中では、毎日が本当に楽しい。昨日よりも今日が断然楽しい。

そんな中で、冒頭のことも起こっています。

本日もお読みくださりありがとうございました。

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