ちょっとヤバく、ちょっと嬉しい、でもやっぱりヤバい江東区の状況~その3:解説補足

前回の投稿について少し補足です。

前回、ジェンダーフリー・バックラッシュとの類似性について触れました。
今回は、ジェンダーフリー・バックラッシュがパートナーシップ制度の禁止を求める陳情と関連しうるとはどういうことか、説明してみたいと思います。

まずは、「ジェンダーフリー・バックラッシュってそもそも何だよ」とお思いになる方もいると思いますので、少し説明します。
ジェンダーフリー・バックラッシュ」とは、行政と一部のアカデミア主導で広められていた「ジェンダーフリー」という概念をめぐって日本各地で起きた、一連の保守系の運動(大体2000年代前半がピークです)のことで、これにより性教育やジェンダー平等を目指す政策の推進が阻まれるようになりました。

それでは、「ジェンダーフリー」とはどういう意味の言葉なのでしょう?
実は、この点が必ずしも明らかでなかったということが、バックラッシュ勢力にとって都合の良い点でした。

すなわち、ジェンダーフリーは「ジェンダーそのものをなくす」とか「男らしさ女らしさを強制しない」とか様々な言い方で説明されていたのですが、その具体的な定義や意義が明らかにされないままに行政のアジェンダにのっていたところを、一部の保守派が上手く利用しました。
一部の保守派は、「ジェンダーフリー」によって「男でも女でもない中性人間が産まれる」とか「(男女の両親と子どもからなる家族が崩れることで)子が親の介護をしなくなる」などと主張することで一般市民の不安を煽り、ジェンダーフリーという言葉とセットに推進されていた様々なジェンダー平等を目指す政策や教育にストップをかけたのです。


また、バックラッシュ派が草の根で運動を展開していたことも、ジェンダーフリー・バックラッシュを考えるうえで注目すべき点です。
バックラッシュ派の中には、地域の男女共同参画推進センターのイベントにわざわざ参加したり、地元で保守系の議員のために情報を仕入れたりということをしている人もいました。

草の根のバックラッシュ運動には、「お役所」的に進められがちだった「ジェンダーフリー」関連政策の虚をつくような巧みさがあったと言えます(褒めてません)。

で、本題に戻るのですが…

近年のメディアでは、LGBTに関して取り上げられることが爆発的に増加しました。
しかし、LGBTを含む性的マイノリティが生活上どんな困難を抱いているか、ニーズはどんなことかといったことについては十分に報道されていません。
ましてや、そのような生活上の困難が保守的な性の規範に由来するものであるということについては、詳しく伝えられていません。

こんなふうにLGBTという言葉だけが独り歩きしている状況は、「ジェンダーフリー」概念のふわふわした流行に似ているように思えます。
また、自治体でのパートナーシップ制度を求める動きに対して、尋常でない素早さでカウンター・アクションが取られていることからは、草の根の保守の運動力の強さが垣間見えます。

江東区では立て続けに反対陳情が提出されました。
他の自治体でも同様の反対陳情が出されているようです。

反対陳情の内容は、前回も指摘したように荒唐無稽なものですが、ジェンダーフリー・バックラッシュを振り返れば、荒唐無稽な意見なら無視して大丈夫とは言い切れません
むしろ、市井の住民の恐怖や偏見を煽る主張は、壮大であればあるほど効き目を持つのかもしれません。

私たちは、すでに起きている、もしくはこれから起きそうなバックラッシュ言説に警戒を怠ることなく、ジェンダーやセクシュアリティに基づく差別をなくすことがいかに重要か、またそのためにどんなアクションが必要か考え、行動していきます。

*ジェンダーフリー・バックラッシュについてもっと知りたい方には以下の2冊がおすすめです。
上野千鶴子ら『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』双風舎、2006年
https://www.amazon.co.jp/dp/4902465094 (←出版元が現存しないようなので、amazonのリンクです)
山口智美、斉藤正美、荻上チキ『社会運動の戸惑い——フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』勁草書房、2012年 http://www.keisoshobo.co.jp/book/b103692.html

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