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記憶に残る味。〜さえりさんの本を読んだ シリーズ②〜

 これまでで1番
「美味しかったぁ」と思い出した
最初のご飯は、病院食だった。

  
  「好きな食べ物は?」と
聞かれたら、答えは決まっている。

 1番好きなごはん(食べ物)は、
いくら。
これは譲れない。


高校生の時、履修していた小論文の
授業の課題で、400字で
好きな食べ物について
その名前を使わずに書いたことがある。

その時私が選んだのも、
当然、いくら。

たしか、
「丸くてつぶつぶ。
口の中に入れると
ぷちっとはじけるその赤い粒は、」
みたいな感じの書き出しで400字分の
いくらへの愛を書き連ねた気がする。

「しょうゆ漬けも、塩でも
美味しいけれど、そのままが美味い」とかなんとか書いて…。

 (写真はイメージです。
写真にリンクあり)



でも、24〜25歳の時に、
私が #やわらかノート に書いた
今までで1番美味しかった、と
鮮明に記憶に残るご飯は、


「入院した時、
何度も吐いて食べられずにいて
やっとまともに食べられるように
なったときの病院食の、
揚げ魚野菜あんかけ」
だった。

(やわらかノートは、さえりさんが
出版した書き込み型の本。)


あんなにご飯をゆっくり食べたのは
今までもやはり病気の時の
おかゆ以外にないし、物心ついてから
初めて入院した、病院食の
優しい味つけで、
「ああ、ご飯が美味しい。
ご飯って、美味しいんだ」と
身体が反応したのは、
味わえたのは、後にも先にも
あの時だけだと思う。


これを言うと母には、
「えー…これだけたくさん
美味しいもの食べてきて、
病院食?」と
がっかりされるのだけれど、

あの揚げ魚野菜あんかけには、
私だけしか知らない味がある。


二十数年間生きてきた人生、
恵まれた環境のなかで、
毎日たくさんのご飯を
頂いてきた。

 そんな私が、記憶に残るご飯は
いくつかあるのだが、
パッと浮かんだのは3つ。


〜思い出のmenu🍽


⭐︎ 「ただでさえ自分が多忙ななか、
他人のことで忙しくしすぎて、
物心ついて以降初めて23歳で入院した
何度も吐いて食べられずにいて、
どうして私はあんなことに頑張ってしまったのだろうと悔やみながら、やっとまともに食べられるようになったときの1人で病院のベッドの上で食べた病院食の、揚げ魚野菜あんかけ」


⭐︎ 「色々とあって、
最終提出日までかかって、執筆時間が、授業課題や期末課題を含めて3週間しかない、というなかで、
何度も泣きながら、時には
もう修了できない
諦めそうになりながら、
研究室の机に張り付いて書きおえ
その修士論文の提出後に、やっと、
少しホッとしているときに先輩に
連れて行ってもらって食べたお鍋。」

 

⭐︎「以前、付き合っていた彼の家に
泊まっていたとき、
彼が仕事に行く前に夜ご飯に作って
くれたのに、それを温め直す時に、
こけてしまってひっくり返して
泣きながら全部拾って温め直して
食べた豚肉と桜海老の炒飯」


ここまでが、わたしのなかでの
記憶に残るごはんの名前だ。


本当は、
3つめの炒飯と同列で
挙げたい美味しかったご飯は
まだあるのだけど、3つに絞ろう。

そう。今回は、の話。



前回に引き続き、
夏生さえりさんの本を読みながら
考えたことを、書いていこう。



 今日の本はこちら↓

夏生さえり.(2017). 『口説き文句は決めている』. カバーイラスト・ sayuri nishikubo. 東京:クラーケン.


ー “食”という言葉は、
食べるもの以外に“状況”を指すと思う。
ある食事を前にすれば、かつて経験した味や食感や匂い、その時見えていた景色や会話、そして考えていたことが不意に蘇ってくる。 ー(p.004)

 

記憶は五感と結びつく。


 だから、食事をしていた過去は、

その時見ていた景色、
一緒にいた人、出てきたご飯、
その匂い、味、食感、その時の感情、

コンテクスト(文脈・状況)
を持っていて、

ある料理を目の前にした時、
それらが走馬灯のようにかけめぐり、
口の中には、もうその時々の、
思い出の味が、においが、
耳には、そのときの声が、
目の前には、その光景が、
まざまざと現れる。


食の経験は、その人が辿ってきた人生を、生活を、よく表現しているようだ。


ー 食とは、文化だ。人それぞれ持っている文化が違うことによく驚く。それもそのはず、食の好みや傾向はその人が育ってきた家庭環境、通ってきたお店、付き合ってきた人たちによって構成されていく ー (p.034)


今考えると、どうして
いくらが好きなのか
わからないけれど、
多分、はじめて食べた時の、
何かの記憶がすごく良いもので、
私は、いくらを食べれば
元気になる、
いくらを食べると幸せだ!
と思っているから、
いくらが大好物なんだろう。

 食には、記憶が結びついて、
記憶は五感の感覚と結びついていて、
過去の思い出の味が、
その時見た光景が
その時触れたものの感覚が
思い起こされる。


それに、

 ー恋に落ちた日も恋のさなかも恋に破れた日も食事をするから、そのふたつは結びつけようと努力しなくても自然に結びついてしまう。失恋後に泣きながら食べたステーキ定食や、好きな人が作ってくれたおかゆ。ー (p.005)

 

 人は時間が経てば、
その時々に持っていたはずの気持ちや
感覚を忘れてしまいがちだけれど、
食と結びついた記憶は、
感覚ごとすべて記憶してくれる。

 そして、その感覚に出会うたびに、(同じものを食べるたびに)
記憶が蘇る。もしくは、
記憶を思い起こすたびに、
その感覚が一気に戻ってくる。

 
例えば、昔その歌が
好きだった人がいて
それで好きになったその歌を
聴くたびにその恋を、
キュッと胸がなりながら
思い出すように…


 人の記憶は、頭ではなく、
五感で、身体で覚えていて、
視覚だけで覚えてるものより、
視覚と聴覚と味覚と、と
その思い出につながる記憶が複数
あればあるほど、強く覚えている。
そしてその、身体で覚えている記憶が
蘇るたび、そのときの光景に
戻っていく。



それぞれの食の記憶

 恥ずかしいので、詳述は避けるが

私が入院中に、
やっと食べられるようになった
病院食の「揚げ魚野菜あんかけ」には、
同じ時期に入院し、
同じ病院食を食べた人とは
異なる味がする。

わたしだけの他の人とは異なる、
入院に至るまでの苦しみや、
入院中のベッドの上から見た光景、
その後の生活への不安、という記憶と
感情と、なんとも言えない孤独感が
詰まっている。


 それから、修論提出後のお鍋にも、
私だけの味の記憶がある。

 修士の2年間でおよそ40単位ほど、
そこに学部の授業、
きつかった教育実習、教員採用試験、
TA、M1の時は週3で肉体労働のアルバイト…門限は0時、家と大学は
往復3.6hと今では絶対にこなせない、
2年間を過ごした。

 そんな日々をなんとかやってきて、
最後の最後まで苦しみながら、
見かねた同期や先輩が、たくさん
本当にたくさん手伝ってくれて
やっとなんとか、
論文みたいな形態を保持して、
期限の最後の日までかかって
修士論文をやっとのことで提出し、
最後の日まで頑張ったから、
と先輩方が夜ご飯に誘ってくれた。

 提出し終えてまだ時間が経たない興奮と出来が良くないことをわかっていての、通らなかったら、留年だったら
どうしようという不安、
追い込まれ続けた1年間の苦しさ、
今までの大学院生活が終わるんだという寂しさ、
毎日、門限を破って終電ギリギリまで
粘った最後の1か月の疲れ、先輩方や同期がいなかったらここまでこられなかった、という感謝、

あのお鍋にはそういう私の2年間の、
走馬灯のように流れていく、
凝縮された記憶が詰まっている。


 そして、3つ目の炒飯にも。
ただの炒飯とは違う思い出がある。

少し詳しく書こう。



拾い集めた炒飯の記憶

(↑実際に、当時作ってくれたもの)

 飾り気のあるお皿じゃないところが
また深い記憶になったのかもしれない。


 当時の私は、
 周りの友人たちのようには
生きられない不安を抱えながら、
うまくいかない転職活動を休止し、
(新卒ですぐやめたあとから、
アルバイトをしながら生きている)

“貧乏暇なし”という感じで、
人と会うために消えていくお金を
まずは貯めるためにと、
増やしたアルバイトで、
今度は心身共に疲れ切って、
自分は何をしているのだろう、
これからどうやって
生きていくのだろう、
一体どうして何もできないのだろう…


 そんなふうに悪い方に悪い方に
考えは進み、家にいれば親や
兄弟に負い目もあり、
ちょっとしたことで働いてないことを
言われると、肩身が狭くなり、
いろんなことができるようになっていく同級生たちを横目に、正規職に
就かないまま1年半が経ち、
社会と分断された自分というものを
まざまざと見せつけられて、

でも、
日々、かけ持っているアルバイトも
忙しくなって、
心身ともに衰弱していた。

 
 そんな時、「お家にいると、
いろんなこと整理できないだろうから
リフレッシュしにきたら、」と
1週間、当時の恋人が彼の家に
避難させてくれた。


そして彼の家にいる間、
彼はいつも仕事に行く前に、
夜ご飯を作っておいてくれたのだ。


 その炒飯の日は、
彼が出かけた後からどうしても、
何をしても集中できず、そわそわして
お腹が空いているわけでもないのに
蓋をして机に置いてある
炒飯がずっと気になっていた。


何度かちらちらと
それをみていたわたしは
結局、夜ご飯には少し早い時間で
それを一度温めて少しだけ食べた。

 おいしい…。ありがとう…
今、お仕事中だけど、何してるかな
 暇ない間につくってくれたね
と思いながら、少しだけ食べて

 その後も、再びDVDを観たりして
さて、もう夜ご飯の時間だし
ちゃんとご飯を食べようと、
立ち上がって温めなおそうと
電子レンジに向かった。

そして、悲劇は起きた。


何に突っ掛かったか、わたしは
両手に炒飯のお皿を持ったまま
そのまま前につんのめって倒れ、
悲しきや残った炒飯は
あたり一面に散らばった。
(まさにscattered!って感じだった)


彼が忙しいなかで、仕事の前に
つくってくれた夜ご飯を、
彼の家で、無残なまでに撒き散らして
しまったという申し訳なさ、悲しさで
涙が溢れてきて、
私は、炒飯ひとつ温められない、
世の中の役にもたてない、彼に何も
できないどころか迷惑をかけている…
と急に思い始めて、

さらに、散らばった炒飯の米粒たちに
見つめ返されている気がして、
それを作ってくれていた時の
彼の後ろ姿が頭をよぎって
悔しいとも、申し訳ないとも
悲しいともいえる感情で
涙が溢れ出てきた。


その涙を拭いながら
散播された炒飯を拾って、床を拭いて
お皿に盛り直して、温め直して
私は食べた。
その後、彼が帰宅するまで、
しばらく床に突っ伏して放心していた。
(そして、風邪をひいた)


(帰宅した彼には特段言わないでおこう
と思ったが、掃除仕切れてないだろうという不安がまさって、白状した。)

すると、

「え、床に落としたのに
拾って食べたの!?」と
案の定言われたが、私にとっては
「忙しいなか、彼が今日
わたしのためにつくってくれた
その日の炒飯」
という、世界に一つだけの
ご飯だった。


怒られる、と思っていたが、彼は、
怒らなかった。(呆れたろうし、
うわぁ、と思ったかもしれないけど
言わなかっただけかもしれない。)


伝えたあとの第一声は
「え、じゃぁ夜ご飯食べてないの?」
だったし、

拾って食べたことを伝えたら
「風邪ひいてるの、もしかしてそれ?」と、まずは私の身体を心配してくれた
(多分だけど)。


 これが炒飯の記憶だ。
もう今は、彼とは別れてしまったし、
もう会わなくなってしまったけど

今でも彼のことを思い出す時には
炒飯のことも思い出す。
そして、私はどこかで炒飯を見るたびに
この件を思い出す。
(別にだから、
どうとはないのだけれど。
過去のその時の私、とその時点での
彼、を思い出す。)

 

「口説き文句は決めている」


 

 さえりさんの
この本のタイトルにもある
「口説き文句」、

さえりさんがもし男になったら、
好きな女の人をこう口説こう、
と決めている
「口説き文句」のことなのだが、

それは

「きみは他とはぜんぜん違う」

だそうだ。


 この14語の台詞は、実際に
さえりさんが24歳の時に

「自分は、結局ありふれた女(24歳)なんだ」…と
現実を知り寂しさを含みながら
口にした「みんな同じなんですよ、
きっと」という言葉に対して、
ちょっとしたきっかけで一緒に
ご飯をした男性に返された言葉
だそうだ。


ー  ぜんぜんちがう。きみは他とはぜんぜんちがう  ー(p.17)

 

 確かに、こんな言葉言われたら
ドキッとする。

その人がどういうニュアンスや意味でどんな声で、どんなアクセントで
そう言ったか知らないけれど

わたしも、さえりさんは、確かに、
“全然違う人”な気がする。



わたしの見えている、ライター・
夏生さえりという方は、

 日常をきちんと、
愛おしむことができる人だ。
そして、言葉を丁寧に、成熟させて
でも新鮮なまま残せる人だ。


 食と恋にまつわるエピソードを
集めたこの書籍を読みながら、
少しさえりさんの人生を見た気がした。

 そして、私自身の、今までの、
大切な思い出が出てきた。

 ー 「食と恋」の思い出は、いいことも悪いことも含めて、ずっと人の記憶に残るものなのだ。たとえ忘れたいと思っても忘れることもできず、覚えておきたいと思った幸せな記憶も日常にまみれて忘れてしまうこともある。
 何気なく過ごしていれば食も恋もあっという間に過ぎ去ってしまう。あまりにもわたしたたの身近にあるものだから。見つめ直し、思い出して、味わえば、また違う楽しみもあるのかもしれない。 ー(pp.190-191)



  はじめに書いたようにわたしは
いくらが大好きだ。

私は好き嫌いもほぼないし、
美味しいご飯もたくさん
食べてきた。


でも、今のところ、

「入院した時、何度も吐いて
食べられずにいてやっとまともに
食べられるようになったときの
病院食の、揚げ魚野菜あんかけ」や

「期限の最後の日までかかって
2年間の修士生活のまとめである
修論を提出し、最後の日まで
頑張ったから、と先輩方が夜ご飯に
誘ってくれた鍋」

それに

「せっかく彼がつくってくれたのに、
不注意でばらまいて泣きながら広い集めて食べた炒飯」

といった思い出の味には、
どんな美味しい、
上等ないくらだって
敵わない。


 ちなみに、
ご飯とは少し違うのだけれど、

 まだ大学に通っていた頃、
もう卒業した好きな人が、大学にくる、
ということで会えることになって
その時、大学のカフェで奢ってくれた
ブラックコーヒーも、

 私が卒業するから、会いたいと言って
その人に再び会って
カフェでお話をしたとき奢ってくれた
紅茶も、私が今まで飲んだ、
どのコーヒーより、紅茶より、
甘い、緊張の味として思い出す。
胸がキュッとなる。


 これからも、きっと様々な想いや
大切な人との時間のなかで、
私の思い出の味は増えていくだろう。

 その時々を、大切にするために、
ちゃんと幸福を感じとるセンサーを
働かせておかないといけない。


 そして日常に飲み込まれてなおざりに
してしまったり、毎日何があっても
やる日常行為の食事にこそ、
 意識的になることが大切なのかもしれない。


 ー 社会人になってからは特に、仕事に恋に、いそがしくなった。生活も慌ただしく、ぼーっとしていると一瞬で時間がすぎてしまう。疲れてなんかいない、と思っていても、いつのまにか心は削れているし、世の中のペースに飲み込まれて自分を見失うこともある(そしてそれにすら気づかない時がある)。ー (p.113)


ーだからこそ、日常において「よし、紅茶を淹れよう」と思えるだけでわたしは幸せを感じる。忙殺されていない、自分を取り戻すことを忘れていない、そしてひとりで自分のためにも生きられている、という感覚。ー (p.113)

 

 日常を愛おしむことができるその
やわらかさは、
食事でも恋愛でも、大切だ。

 たまにやることをやる手を止めて、
一度休んでみる。
ゆったりとした時間をつくりだす、
その意識が、心を和らげる。
連続した時間を、日々を、
区切ってみる。


日常を失った後に、
それが大切なものだったと
気づいたときの、
その大切だった日常の味は、
きっとどんな高級食材でも
つくりだせない幸福感を
生み出している。


 前回投稿で、
「失ってから気づくなんて遅い」と
書いたけれど、

そのために、何気なくはじまって、
できていく日常を、大切にしたい、
そんなふうに思った。

そうしたら、本当に、わたしは
くだらないことに拘っているうちに、
はじまりがどうとか、
いちいち言葉にしてほしいだとか
そんなことを言っているうちに、

自分のやりたいことを無視して
我慢していくうちに、
積み重なっていた
日々の小さな幸せに気づかずに
いろいろなものを失ってしまったな、
と感じた。


無理しすぎて入院して、
やっと食べられるようになったときの
揚げ魚野菜あんかけにも、

修論後に、
先輩方と囲んで食べたお鍋にも、

泣きながら食べた、
彼のつくってくれた炒飯にも

そういう、小さな失敗に気付けなかった
苦い思い出や、そこに至るまでの
様々な日常がぎゅうぎゅうに
詰まっている。

どんな大好きないくらのご飯も
これらにはなかなかまさらない。


 これからもきっとこういう
思い出のご飯は増えていく。


 何気ない日常の味が、
突如、思い出に変わることも
きっとたくさんある。


 だから、溢れている日常の行為を
愛おしんで、大切にしていける
心持ちが欲しい。


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