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現実を見ることで、楽に生きる

 現実を見る。それは、何か物寂しくも感じられます。夢も希望もないようにも思えます。ただ、現実を見ない。現実を無視する。それだと、いつまでもふわふわとした夢の中。空想の中です。これだと、かえって苦しいともいえます。

 一方で、人は、気づくと、ついつい歪んで物事を捉えたくなるものです。たとえば、世間の常識。一見、常識とは、現実だ。そう思えるかもしれません。しかし、実際には、多くの人が受け入れている歪んだ物の見方。それが、世間の常識ではないでしょうか。

常識は、もっとも支持ある歪んだ物の見方に過ぎない

 まず、学校で、1番になるまで勉強ががんばる必要があるでしょうか。生活に必要な知識を学べれば、それで充分ではないでしょうか。しかし、それでは、人は、面白い感じがしないのです。

 そこで、勝ち組、負け組をつくります。冷静に考えると、それぞれが、自分に必要なことを学び、生活できている。それだけで全員、勝ち組なはずです。また、支援やサポートが必要な場合でも、それで生活ができていれば、勝ち組です。もっというと、どう生きようと、どういう状況であろうと、勝ち組、負け組といわれる所以はありません。

 しかし、そういう現実をそのまま見るのでは満足しない。勝ち組、負け組という歪んだ物事の見方の方が面白く、わかりやすい。それで、そういった考えが世間の常識になっていきます。子どもの頃の勉強に限らず、仕事の有無、家族の有無、お金の大小、容姿の美醜。色んなことに、歪んだ物事の見方を当てはめ、それを常識にしていきます。

 そして、たしかに、一見、正論のようにもみえるものなのです。だからこそ、多くの人に支持されているものともいえます。そして、世間の常識を信じて救われる人もいれば、そうでない人います。実際には、救われるどころかその常識に苦しむ人や場合が多いのではないでしょうか

 それで、何かにつけて勝ち組に入ろうとする。足りないものがあれば、得ようとする。しかし、そんなに簡単に手に入るものではありません。また、手に入っても、元々、歪んだ物の見方に過ぎないものです。いつか、限界が来るともいえます。

歪んで物事を捉えたがることに気づく

 心を楽に生きる。そのためには、むしろ、現実を見る。それが大事だといえます。そして、同時に、自然と歪んで物事を捉えたがるもの。それを認識することも大事です。

 歪んで物事を捉えたがることを否定する必要はありません。歪んで捉えるからこそ、面白がれます。楽しめます。悲しめます。つまり、感情を味わうことができるといえます。

 しかし、つらい、苦しい。それが続きすぎるならば、冷静になってみる。現実を見てみる。そうすると、要らないものを信じていたことに気づきます

要らない物の見方を信じていたことに気づく

 みんなに好かれたい。そう思って、好かれるような行動をしていた。よく考えると、好き嫌いを決めるのは相手であり、自分ではない。好かれるような行動をしたから、好かれるわけではないのが現実です。そして、好かれることが良いこと。それ自体が歪んだ物事の見方である。本当に、自分にとってそれは、必要なことなのか。そう考えると、それは、要らない考えだったと言えるかもしれません。

 1番になりたい。そう思って、1番を目指す。よく考えると、順位を決めるのは、他人であり、自分ではない。1番を目指したから、1番になれるわけではない。そして、1番であることが良いこと。それ自体が歪んだ物事の見方である。本当に、自分にとってそれは、必要なことなのか。そう考えると、それは、要らない考えだったと言えるかもしれません。

 このように、要らないものを信じていたことに気づく。そのことで、余計なつらさ、苦しさは減っていきます。背負っていたものが減るからです。こだわっていたことが減るからです。

現実を見ることで、楽に生きる

 現実を見て、今、できることをやる。そのシンプルさは、気楽さにもつながります

 たしかに、気づかぬうちに、歪んで物を捉えているものです。そして、歪んで捉えること自体は悪くありません。

 ただ、だからこそ、時には、歪みをチェックする。そして、不要な考えを捨て、現実に目を向ける。それが、心を楽に生きていく上で大切といえます。

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