「どう思われるか」より、「平静さ」が大事

 「こんなことを言ったら、どう思わるか。」「こんなことをしたら、どう思わるか。」他人や周りの反応が気になるということはあると思います。

 そんなときは、「自分を守りたい。」そういう気持ちが働いていることも多いと言えます。「相手が不快な思いをしないように」「相手が傷つかないように」そんな思いがあり、「どう思わるか」を気にすることは、より適切な言動や行動につながるために大切だと言えます。

 しかし、「相手にこう思われたら、自分の立場が悪くなる」「相手に変に思われて、自分が傷つくのを避けたい」。そんな風に、本当は、自分を守るために、「どう思わるか」を気にしている。そういう場合は、少なくないといえます。

「どう思われるか」を気にしている理由を意識する

 そのため、なぜ、「どう思わるか」を気にしているのかを意識する。それは、大切だといえます。相手のためであれば、必要以上には、悩まないはずといえます。

 ところが、自分のためであれば、「相手のため」という名目のもとで、あれこれ必要以上に悩んでしまうといえます。自分を守るために、「どう思わるか」を気にしていることに気づけば、少し客観的に、自分を見られるといえます。

振る舞いで、自分を守ることは、無理が伴っている

 そして、そもそも、自分を守るというのは、どういうことか。それは、「自分が苦しみたくない。」「つらい思いをしたくない。」それらを避けるために、守りたい、ということといえます。

 たしかに、自分の言動、行動で、相手から攻撃を受ける。相手から不満をぶつけられる。相手から変な目で見られる。相手から嫌われる。そうすると、苦しいですし、つらいといえます。

 ただ、言動、行動に対する評価というのは、相手次第です。自分の想像通りに振る舞ったところで、自分の想定通りの評価になるわけでありません。

 つらく苦しい気持ちになるのを避けるために、振る舞いを気をつける。それに挑むこと自体が、不完全で無理なことをしようとしているといえます。

「どう思われるか」より、「平静さ」が大事

 自分を守るために、取り繕ったりしても、結局、周囲の評価は、周囲次第です。そして、周囲からの評価や態度で、結局、つらく、苦しんでしまう。

 大事なのは、自分を守るために取り繕うことでなく、平静さに力点を置くことと言えます。

 思わしくない評価を受けていたとしても、平静さがあれば、心は穏やかです。期待通りの評価を受けて、舞い上がっていても、状況が変われば、簡単に平静さが失われる。そして、それは、あたかも、周囲からの評価が下がったから、自分が苦しんだように感じる。実は、そうでなく、平静さをなくしたから、必要以上に、つらく、苦しんだといえるのです。

 自分の言動や行動により、周囲の評価や態度が変わっていく。一見、周囲の評価や態度を良いものとすることが、人生を楽に生きる道のようにも思えます。しかし、それ自体、無理な話であります。

 むしろ、周囲の評価や態度が変わりゆく中で、平静さを大切にして、その状況その状況で自分のできることのみに集中する。それが、どんなときも、心を楽に、生きていくためにむしろ必要なことと言えます。

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