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許せないときは、自分だったらどうするかを考える

 許せない気持ち。それは、持ち続ける分、つらくなったり、苦しくなったりするものです。そのため、「許すことで、心を楽にしたい。」そういう思いは、あるといえます。

 ただ、そうはいっても、許そうと思って、許せる。そういう風に、簡単にはうまくいかないものです。無理に許そうとすると、自分の感情を無視することとなり、かえってこじれるともいえます。

 そもそも、許せない。それは、相手が間違ったことをして、不当に自分を傷つけたと感じる。そんなときに、湧き上がる思いです。そして、間違っていること、してはいけないこと。それは、自分がそう思っていることです。

 自分だったら、こんなことしない。そう思ってるからこそ、相手を批難するのです。自分ならそんな言い方しない。自分ならそんな自分勝手なことしない。だからこそ、相手が完全な悪者。そう思えて、ますます許したくなくなるのです。

 許せない気持ちを減らしたい。許して心を楽にしたい。そんなときは、視点を変えてみる必要があります。それは、自分だったら、本当に、どんなときも、それはしないといえるのか。ということです。

自分も同じことをしていたな、と思うことで許す

 たとえば、予定を仮病で直前にキャンセルされて、許せない。自分だったら、そんな身勝手で迷惑なことしない。そう思うかもしれません。しかし、元々、行きたくなかったけれども、とても断れるような状況でなかった。そんな約束ならば、直前に仮病でキャンセルをしないわけでもない。するかもしれない。

 そんな風に、こういう状況だったら、自分でも同じことをしていたな。そう思うと、少し許せない心を解かずにはいられなくなります。なぜなら、自分もやるようなことを相手にやるなという。それは、少し、居心地が悪いなと思うからです。

自分が我慢していることを相手にも押し付けてないか

 また、それでも、自分は絶対にそんなことはしない。そう思う場合もあるかもしれません。そんなときは、自分が正しいことをしているだけでは、なぜ気持ちが収まらないのか。それを考えていくことが大事といえます。

 たとえば、自分は、たとえ行きたくないものでも約束は絶対に守る。自分なら、キャンセルはしない。そう思ったとします。そうであれば、自分は、きちんと約束を守って人に迷惑をかけない。それをすれば良いだけのことです。自分は正しいことをして、人に迷惑をかけない。それで十分鼻図です。そう言えるのに、なぜか許せない気持ちが収まらない。

 それは、本当は、約束を絶対に守るなんてしたくないからといえます。つまり、我慢が入っているのです。自分は、我慢している。だから、相手も我慢するべきだ。そう思っているということです。それならば、自分も相手も我慢しなければよい話ともいえます。世の中、予定の変更、キャンセルは日常茶飯事です。キャンセルがある前提で動いています。

 勝手に、自分が、我慢をして、約束を絶対に守っていて、そのルールを人にも押し付けていた。そう考えると、我に返り、許せない気持ちが少し引いていくといえます。

自分を大切にするとともに、自分を美化しない

 許せない気持ち。もちろん、自分が傷ついたと感じたこと。ショックを受けたと感じたこと。許せないなと感じたこと。そうした、自分の思い、気持ち自体は、無視する必要はないといえます。むしろ、きちんと認めることが大事です。

 一方で、自分ならそんなことしない。相手はおかしい。そう思う時に、一旦、我に返る必要があります。本当に、自分は、どんなときでも、そんなことしないのか。

 また、絶対にしないというならば、自分は正しいことを続ければよいだけの話です。それにもかかわらず、気持ちが収まらないならば、本当は勝手に、我慢しているのかもしれません。

 我慢している心、それは、自分にとってあまり見たくない部分です。そのため、それは見ずに、自分はそんなことをしない、と自分を美化してしまうといえます。

 自分を美化すると、まるで自分は素晴らしいことしかしていない。だから、相手のやることを間違っていると非難できる。そんな風に思ってしまい、許せないことが増えていってしまいます。

 そのため、美化せずに、我に返る。自分も同じことをするかもしれない。自分は勝手に我慢して、同じことを相手にも求めていたかもしれない。そう思うことで、許せる範囲が広がっていき、心も軽くなっていくといえます。

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