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「意味」という名の味付けを控えることで、心を楽にする

 何か出来事が起こったとき。人は、それに意味を与えます。これは、こういう意味のある出来事だ。あれは、ああいう意味をもたらす出来事だ。また、考えや感情にも、意味を与えます。自分がこう考えたのは、こういう意味がある。自分がこう感じたのは、こういう意味がある。

 そういうふうに、意味という名の味付けをします。ただ、不必要に味付けをすることで、必要以上に、つらさ、苦しさが出てきます

意味を重ねることで、余計につらく、苦しくなっていく

 上司が自分を叱るのは、自分のことが嫌いだからだ。挨拶を返してくれないのは、自分のことが嫌いだからだ。

 本来は、単なる出来事に過ぎません。しかし、それにより、ショックを受ける。心に痛みを感じる。そして、そのショックや心の痛みについて、また意味を与えようとする。そして、周囲は、自分のことが嫌い。そういう風に、どんどん意味が上乗せされていきます

 周囲は、自分のことが嫌い。これに対して、また傷つくとします。そうすると、世の中は、自分を必要としていない。そんな風に、さらに意味づけしていくのです。

 つらさを止めたくて、苦しさを止めたくて、意味付けをして自分を納得させようとする。しかし、それが裏目に出て、どんどん、自分を追い込んでしまうのです。

その「意味」は必要か、省みてみる

 嫌なことが続くと、たしかに、つらく、苦しくなります。そして、意味付をして、自分を納得させたくなるものです。

 ただ、その意味付けが、余計に自分を苦しめているともいえます。そのため、その「意味」付けは、必要なのか、それを省みてみることは大事と言えます。

 上司に叱られて、上司が自分を嫌っているからと意味づける。それは、叱られて傷ついた。自分のがんばってきたことが認められず悔しかった。そういった気持ちを感じないようにするための意味付けかもしれません。

 たしかに、意味付けをすることで、一旦は、心の安定が保たれるかもしれません。そのため、その意味は、必要と言えます。ただ、本当は、自分が傷ついた、悔しい気持ちを感じた。それが、本来のつらかったことといえます。

 もしかすると、上司が自分を嫌っている。周囲が自分を嫌っている。その意味付けは、もう、必要ないものともいえます。傷ついた気持ち、悔しい気持ちが癒やされることこそ、大事です。その場で作った意味を、事実として、永遠と持ち続ける必要はないといえます。 

「意味」という名の味付けを控える

 いろんなことに、意味を与える。それは、自然なことです。ただ、意味付けをしていることに自覚的になる。そのことで、不要な意味付けを減らすことができます。

 意味を与えて自分を守ろうとして、今度は、その意味に苦しむ。そして、さらに、さらなる意味付けをして、また今度は、その意味に苦しむ。

 その連鎖を防ぐために、自分は、何が苦しかったのか。何に心の痛みを感じたのか。そこと向き合い、それを癒やすことに集中する。そして、余計に意味付けしていたものは、なくしていく。その作業が、心を楽にする上で重要と言えます。

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