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凡庸“幸福”雑記「パーフェクト・デイズ」映画の感想じゃないよ。


役所広司主演で、ビム・ヴェンダーズ監督の
「PERFECT DAYS パーフェクト・デイズ」を観てみたい。興味惹かれる作品だ。

トイレ清掃員の初老の男の何気ない素晴らしき日々。

そんな感じだろうか。広告と予告を目にする限りでは。役者と監督、双方とも円熟した燻銀の様な芸術家だから、ため息が出るほどの、美しさを見せてくれるのではと、勝手に夢想している。

この作品の主人公。清貧と簡素な生き方をしている(ようだ)。日々、目の前の仕事に精を出し、(トイレ掃除だと卑下することなく。たぶん予告を観る限りは)ささやかな、完璧な世界を体感している。

生きる喜びは、古本との戯れと、時折訪れる居酒屋でのほろ酔い。手に入れられない未来を望まず、今の世界を心ゆくまで噛み締めて味わう。(これも、たぶんなんだよなぁ。なんたって観ていないのだから)

日本人の琴線に触れる部分が多い生き方だと、感じる。だけど、日本人の心と簡単には言えないし、実際これを撮っているのが、ドイツ人のビム・ヴェンダーズ監督だから、人の原風景の中にある憧れの一つなのかもしれない。

清貧と簡素は、侘び寂びは、日本人の専売特許でなく、海外の人も気づき始めた。

肉体でも精神でも、ところ構わず四六時中吹き荒ぶ現実にそうとう疲れ切ってしまい、禅とか、瞑想とか、そんなあやふやだけど、心が如何にもこうにも、なんだか安らかになる術を、持ち前の欧米人独特の効率的システム化で、確実に具体的に、効果的に手に入るようなツールを作っている。マインドフルネスとか。


僕も、無性に全てを簡素にしてみたい想いに駆られる時がある。あらゆる人生の欲望を最低限に絞り、必要なことだけを、必要な内容で、考え生きる。心の重荷を下ろして生きる行為。どれだけ、軽やかで幸福なのだろうか。

たった一つの何か、かけがえのない事柄を、煩うことなく行なっていく日々。そこから生まれる安心感は、朝日の輝きのようにまばゆく澄んで、心地よい世界なのだろう。そう、淡く夢見る。

昔読んでいたビジネス書に書かれていた、「選択と集中」って、やつだろうか。ちゃあうかもしらへんけど。

でも、振り返るに、我が身我が姿を。あまりにも、捨てられない“愛しい”が多すぎる。

パソコンはMacだし、スマホはiPhone。iPadも使っているし、密かにApple Watchを狙っている。そう、無駄に高いものばかりを身の回りに置いている。

おまけに、写真なんて、貧相な生活をしている人間にとっては、風上にもおけぬ悪鬼の頭の様な、趣向を愛でている。とにかく、写真を、それも、自画自賛の作品を作るならば、無謀なほどに金がいる。

金を積み上げてなんぼの趣味だ。ちょいと気に入った写真機を物色すれば、確実に数十万。おまけにレンズで数万円。残酷なのは、それだけで済まない事実。

より欲にまみれた修羅趣向の道を突き進むならば、現像という過程を望む。それには、ハイスペックの処理能力のPCと、実物とみまごうまでに、色と細やかさを実現することができる、ディスプレイが必要になる。

兎にも角にも、こんなもんを、ニコニコしながら揃えてできるなんて、よっぽどの富豪か、詐欺師か(?)

Appleにしても、写真にしても、人生にとってどうしてもってことはないことだし、Appleなんてもんは、WindowsやらAndroidやら、卒倒するぐらいに財布に優しいものは山の如くある。

自分の立場と、稼ぎの内容から考えるに、頭を抱えて地団駄踏んで、泣き喚くぐらいなら(もちろん心の中の話)、格好やこだわり、心地良さや、絶妙な使い勝手、そして、それらをわかる自分という、妄想は捨てて、無になるべきではないだろうか。

それに、写真なんてことは、人様に請われてやっているわけではないので、それに、人様に見せたところで、一円も儲からんのなら、借金のかたに質屋にでも出せばいい写真機諸々を。

振り返るに、「PERFECT DAYS パーフェクト・デイズ」の主人公の彼の如く、手に乗っている小銭を数えて、その中で満たされる清貧と簡素な小さな幸福を積んでいく。身は貧相でも、心は錦ってやつは、こんなに物欲まみれたというか、泣きたいほど、金ばかりかかる幸せを追い求めて、それを、捨てようとしない哀れな男の悲しさよ。

ってことで、今日の戯言は終わり。



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