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凡庸”映画”雑記「異人たち」多少ネタバレ

異人たちを観る。

とても地味な映画。されど、良い映画。

山田太一作。大林信彦監督の映画。これを、海外で元として映画化した。基本的な物語は同じ。最後のどんでん返しも。

良質で良心的に丁寧に作品を撮っているのが、好感が持てる。大林監督が彼独特の映像マジックで、ドラマティックな部分のある作品にしていたが、こちらは呆気ないほど、日常と異が重なり合う。その辺の差異のなさに、誠意と物足りなさを感じた。

今の時勢で、基本的で重要な部分が変更されている。主人公と、彼が知り合う愛人が、男同士。つまりは同性愛者。

ここで、面白いのが、異人は死者と共に、世間から奇異の目で見られる同性愛者が二重写となっている。


決して、生者としては交われない死者。世間から、交わりを拒否されている同性愛者。どちらも、異人。この作品の特筆すべき創作点。ただ、同性愛を扱う作品が多くなってきたので、それほど新鮮味は感じなかった。物語に色合いをつけるのには成功していると思うが。


作品の中で、結構、しっかりと同性愛の場面が出てくるので、苦手な人は覚悟が必要。

物語の骨子として、死んだはずの両親と再び会い。過去、伝えられなかったこと、学校でいじめられていたとか、そして、同性愛者だったとか。意外と早々と両親に吐露する。


もちろん、過去の人だから、両親は初めは受け入れられずに戸惑う。特に、母親は家庭や子供を大切にする人なので、理解できない。かえって、父親のほうが素直に、息子を思い受け入れている様子。

それでも、芯の部分で愛情豊かな家族なのか、子供の時に経験した様々な家族の思い出が、そのまま現実となり、クリスマスツリーの飾り付け、眠れない夜の川の字ベットなどを通して、家族が邂逅する。

そして、純粋に親と子の確かな愛情がつながり、突如途切れてしまった、家族が一つとなり、それぞれが本当の別れを迎える。

大林監督の映画ではすき焼きだったが、こちらは、ショッピングモールでのファミリーセット。そこで、最後の会話。

ここでしみじみ誠意のある良い作品だなと感じた台詞があった。

残念ながらうる覚えだから、正しくはないかもしれないが、父親が、「お前は正しい。すごい。」息子が「そんなことはないつまらない」父親がそれにたいして、「違う今まで生き抜いてきたそれだけでとても素晴らしいことだ。お前が誇らしい。」そう返した。(大体は、そうなことを言っていたよう)

僕も、なんとかかんとか、こんな年齢まで生きてきたけど、よくもまあこんな体たらくな人間が、世間の中で生きてこれたもんだと、時々、しみじみ、感心することがある。生きることは、ちょっとした偶然と幸福のチョイス。生きているだけで、すごいもんだ。

また、親としての思いとしては、子供はただただ、生きているだけで嬉しい。基本的には。

この映画、自分自身の感情と、親としての想いをそれぞれ思い出させてくれる、一粒で二度美味しい良さがある。

で、最後が、ちょっと引っかかっている。

死者と関わらず、新しい人生を生きるようにと、死者の両親と別れた。
それなのに、実は、本当に愛した人が実は、・・・・・それが分かって、これは大林版でも同じ展開。違うのは、彼を受け入れて、異人の世界と関わりを持つことを暗示して終わる。これでは、安心して旅立った両親も浮かばれないのではなんだろうか。

そんなことを、思ってしまった。人それぞれかもしれないが。

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