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凡庸”親指”雑記「親指シフト」


さてどうしたものやらよくわからんことが世の中には多すぎる。こうして、親指シフトで文章を書いているが、これがいったい自分にとっていいものかよくわからないでいる。

時々、細かなことで使いにくいところもあり、面倒になって、ローマ字入力に戻ってしまおうかと、数日間試してはみるが、ローマ字入力の指の動かす量に驚いて、親指シフトの効率的な入力に戻ってしまう。

それだけど、文字のキーの場所を忘れる時が時々あり、それを思い出せなくてイライラして、ええっい!もう、ローマ字入力こそが最高、戻ってやろうと決心する。

が、やっぱり、こうして親指シフトに戻ってしまう。

使いこなせるとか、ほぼ日本語しか打たない小説家とか、文筆家とか、研修者とか、学者だとかだと、それこそ便利この上ないだろう。だけど、色々使いこなす必要な、雑食系のMac使いは、どうも器用に使いこなせない。人それぞれで、そんな不器用なことはないと言う、りっぱな人々がほぼ全体だとは思うが。

こうして、今一度。親指シフトを使いこなそうと、心改めているのだった。

今の、日本語入力の環境を考えるに、なんとも恐ろしいことに、ローマでも、親指でもどっちつかずの中途半端になってしまっている。ローマ字しか知らなかった時には、それこそ、目をつぶっても超高速で文章を打つことができた。

頭の中で、言葉があちこち飛び回って、逃げ回っている時なんか、余計な周りのものを
遮断するために、目をしっかり閉じて、真っ暗闇の中で、浮かんできた言葉を捕まえては、指でキーを打っていた。

あの、リズム感と高揚感が今でも忘れられない。

それが、今ではできなくなった。それでいて、親指ではそこまで行っていない。どうしても。

もっと、腹を据えて、しっかりと盲目の親指シフト打ちにならなければ。そう、実にくだらないことを思いつつ。暇なひと時、このような文章を親指シフトで綴ってみた。

そう言えば、どうしてもうまくいかないのが、英数キーを親指シフトの左キーになっているのだけど、ちょっとしたタイミングのズレで、親指シフトの左キーではなくて、英語入力に切り替わってしまう。これが、どうもイラつかせる。

もっとこのタイミングをうまく使いこなせるようにならなければ。それと、”よ”がとても打ちづらい。右手が腱鞘炎になってから、うまく捻ってキーを押されられなくなった。

どうしたらいいのかと考えて、右手の親指でかなキーを押し、左手の人差し指で、Yを押している。そうすると右手を、無用に捻る必要が無く、手が痛くない。だけど、やっぱり押しにくくて、速度が落ちてしまう。

超高速の親指シフトはまだまだ先の話である。

前に、どこかの偉い大学の先生が、親指シフトはキーの押し間違いがなくなる。日本語入力が超効率的になる。と、言っていた。それで、まんまと騙されて(いやいや違うでしょう!)こうして、親指シフトをたしなんでいる。誰でも、日本語入力の達人には慣れそうもないが、それなりに、入力はしやすくなったので、もう少し試してみようと思っている。

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