遅れてやってきた父の「少年よ、大志を抱け」

私は父が嫌いだ。

友達と話してて親の話題になると、決まって頑なに父を否定していた。

私の中での父は
典型的に頑固で、怒ると頑として譲らず、聞く耳を持たない。
正直、父を慕っているような人に会ったことがないし、友人と呼べるような人付き合いも私が知る限りほぼ皆無で、コミュニケーションもからっきし。

母のことは好きだ。
友人付き合いが多く、看護師・助産師として働いていて、その患者さんからたまたま会ったときに話しかけられるなど慕われていた。そんな母が誇らしかった。
今考えると父とかなり対称的だ。

ケンカも多かったが、父はとにかく母が言うこと成すこととにかくすべてを否定する。
母が何か言っても、「いやお前は違う」と言ってることでなく母自身を全否定だ。
父が母の味方をしているところ、謝っているところを見たことがない。
二人のケンカはいつも母が折れて後味悪く終わるものだった。

そんなだったから、余計に父が嫌いだった。

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高校を卒業して、私は進学して上京した。
納得いく進路かどうかはともかく、絶対に家を出ると決めていた。

連絡無精で私は何かあったときでないとほとんど実家に連絡することはなかった。
その連絡も、父にすることはなく、もっぱら母に宛てたものだった。

それでもときたま、父から連絡がくる。

「大学からこんな書類がきたが」
「(私の所属する部での活動を見て)良かったみたいだな」
「最近どうだ」

短く、ぶっきらぼうで、何のことだ?なぜに今?と思うこともある。

私も、そのまま
「まあまあ」
「ふつーだよ」
とぶっきらぼうに返してしまう。

父のことは嫌いだ、それは今でも変わらない。
母と電話すると、たまに父とケンカしてまた聞く耳を持ってなかったことを聞かされる。
そんな父が嫌いだ。

でも父から連絡がくると、どこかくすぐったい気持ちなるのだ。

ぶっきらぼうで、コミュニケーション下手なのに
どうやら娘の私がなんだかんだと気になって
ぶっきらぼうで、コミュニケーション下手なりに
私を気にかけてときたま連絡してくるのだ。

大会の結果などについて連絡してくるときは
その日中か二三日の間にくる。

「良い結果だったな、でもあれはいまいちだったな」

素直におめでとうと言えばいいじゃないか、悪いとこなんて指摘されなくても分かってるよ、と言いたくなった。
でも、きっとこれが父の精一杯なのだ。
ぶっきらぼうでコミュニケーション下手な、父の。

こないだは知らない内に私の大学の保護者会の地方担当者になろうとしていた。

部活から形式的に送った年賀状。祖母が亡くなった次の年は、出す必要などないのに喪中ハガキが部の監督宛に送られてきて、思わず顔をひきつらせた。

私としてはやめてくれ、と思うことばかりだ。

でも、なんだろう。正直、こんなことはしてくれるな、と心から思いながらもどこか憎みきれてない自分がいる。

父のやることなすこと、何かがひたすら空回りしているのだ。

たぶん、私のことを気にかけて悩んだ末に空回りして、私の顔をひきつらせることになっている。

とにかく不器用なのだ、全てが。

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いつだったか、父の学歴を聞いたことがある。

母は専門学校出で、大学出身の父に引け目を感じていた。その引け目もあって、いつもケンカしても母が引く。「私は頭が悪いから」と。

だからというわけでは無いが、たぶん進路選択のことを考えるときになって、なんとなく聞いてみたんだったと思う。

父は一年浪人して地方国立大学の法学部に入学していた。
そしてその大学生活でも一年留年していた。

その後、地元に戻ってきて定年退職まで市役所に勤めた。

これだけ聞くと普通だ。
でも父はたぶん、「何者かでありたい」願望が強い気がした。

あまり記憶にないが、私の祖父は地方警察署長まで務め、後から聞いた話ではユーモアもあり同僚・後輩から慕われていた。

きっとそんな祖父に、父は憧れの気持ちがあったのではないか。

大学の学部に法学部を選んだ理由は分からない、
だが、少なからず祖父の影響があったはず。

父が祖父のことを、語っているのを見たことはない、だからその影響が
純粋に憧れてのものだったのか
反骨精神からくるものだったのか
分からない。

でも父は大学で思いのほか挫折した。
当時としては父はかなり良い就職ができたのだと思う。
でも、少なからず、祖父を意識していたなら
心から満足いくものではなかったのではないか?

父が過剰に母を否定するのは、劣等感があるからなのではないか。

コミュニケーションが下手なのも、過剰に自分を繕って評価して、結局自分をさらけ出せず、自分は人と違うのだ、と

そんな心の底の思いがあるような気がして
私の想像ではあるが父も一人の人間なのだな、と
どこか俯瞰して父を見るようになった。

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そんな父と、帰省したときに話をした。

父は退職してから、その退職金や貯金を使ってマンションをいくつか購入し、今はその賃貸で収入を得ている。

その中に東京の都心部に持っているマンションがある。

父はそこがいかに利便性が良いか、これから価値が上がるか、意気揚々と話していた。

私は「じゃあそこ、次は私に借りさせてよ」と言った。

父は「おう、いいぞ」と言った。

でも、と何かちょっと渋った。

何だ、と思って聞いてみると

「実はな、ずっと1度東京で暮らしてみたいと思ってたんだ、だから他の不動産収入も安定して、今入ってる人の契約が切れるころに、俺もそこで住んでみたいと思っててな...」

父がなんとなく東京に憧れをもっているのは知っていた、だからそこまで驚きはしなかった。

でも定年した60過ぎの、世間的に見ればおじいちゃんとも言える父の、なんと若者らしい夢だろうか。

「若い頃なら誰しも東京に憧れることがある」

そんなコトバをどこかで聞いたことがある。
事実、私もそのクチでもある。

父は、きっと様々な思いを抱えてぶっきらぼうに生きてきて、今、改めて東京に憧れを持って
そんな夢を持って、生きているのだ。

世間的には何を今さら、となるのかもしれない。

でも私は、そんな父の夢を応援してあげたくなった。

もちろん父のことは嫌いだ。それは今でも変わらない。

でも時を重ねて、ただ怒鳴ってる父が全てだと思っていたころより、父を一人の人間として見ることができるようになってきた。

ぶっきらぼうで不器用で他人とのつきあい方が分からない、そんな父。

連絡無精で、人当たりは良いけど深い付き合いになる人はごくごく小数な私。

なんだ、と。
私とそんなに変わらないんじゃないか、と。

私は少しでも自分のこんなところを直そうと奮闘しているつもりだが、たぶん本質的な部分は父とそう変わらない。

父を否定して頑なに拒んできたけど
やはり似た者同士、親子なのだ。

そんなことをあるがままに自分なりに納得できるようになって

私は父と、一人の人間として向き合えるようになれた気がする。

私は父の夢を否定しない、応援するよ。

いつも気にかけてくれてありがとう、私もたまには連絡するようにします。

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