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ピエロの悩みごと/希望のことば

みなさんおはようございます、まつです。

去る3月25日、noteを開設して1年が経ちました。

私のnoteは、当初は陸上競技の観戦記や、推し大学の選手紹介、半年以上サボって今年に入ってからは、カメラネタが続いたり駅伝にはまったきっかけを綴ったり、ネタの方向性が定まってないことに自分自身の中で定評があります。笑

そんな私のnoteですが、いつか自分の意見としてじっくり書いて残しておきたいと思っていたテーマが幾つかあります。

そのひとつが、今回のテーマ「人の言葉が人に与える影響」です。

私たち人間は社会生活を送っている以上、誰かの言葉に傷ついたり、苦しめられたり、逆に励まされたり、勇気づけられたり……。そんな経験を誰もがしている……というより、否が応でもそんな経験をせざるを得ないと思います。

私も例外なく、その1人です。

最近ではだいぶ図太くなりましたが(だからといって何を言われても傷つかない訳ではないので悪しからず)、多感な高校生時代は本当に些細な他者の言葉に傷つき、落ち込み、泣きじゃくり、ときには学校に行きたくなくなるほど苦しむこともありました。

しかし、そんな当時の私を救ってくれたのもまた、他者が発した言葉でした。

そんな自分自身の経験を振り返りながら、言葉が人に与える影響についてお話ししたいと思います。

ピエロの悩みごと

「あなたの悩みなんてどうせ大したことないじゃない」

これは、私が高校2年の冬に友人(だと思っていた人)から言われた言葉です。

高校に入学したての頃の私は、人見知りを盛大に発揮して友だちがあまり多くありませんでした。

しかし、高校生活に慣れるにつれて友だちが段々と増えていき、2年生の夏~秋頃は人生で一番「リア充」っぽい高校生活を送っていました。

その当時の私は、どこの高校にも必ず1人はいるであろう、とにかく何にでも首を突っ込みたがる、お調子者タイプの人間でした。

私が通っていた高校では毎年9月に「演劇コンクール」という、各学年2クラスずつがチームを組み、自由に作品を選んで演劇で競う行事がありました。私は、そこそこ台詞があり、そこそこ物語の鍵を握る脇役として参加し、高2の夏休みの大半の時間をこのチームで過ごしました。

夏休みの教室に集まって朝から晩まで練習した日々。学校帰りにみんなで寄り道して、他愛もない話しで盛り上がったり、ときには練習という名目で高校近くの河川敷に集まって花火をしたり、はしゃぎ回ったり……。

私たちのチームは、本番で見事に最優秀賞を獲得。
絵に描いたような青春の1ページでした。

ほかにも、ドラムを担当していた軽音楽部では3つのバンドを掛け持ち、演劇コンクールの僅か10日後に行われた文化祭にすべてのバンドで出演しました。

更にはクラスの出し物にも積極的に関わり、所属していた新聞委員会としての出し物にも参加する、といった始末でした。

2年生の私は8クラス(A組〜H組)ある学年の「H組」の所属で、教室はフロアの隅っこでしたが、そんなこんなで文化祭が終わる頃には学年の有名人状態でした。

死ぬほど調子に乗ってるクソみたいな高校生でした。

そして、お察しのとおり勉強なんて一切手付かずでした。笑

当時の私は「誰よりも高校生活を楽しむこと」をモットーとして生きていました。

ただ通っていたのは、4年制大学への進学率98%の(自称)進学高校。2年の文化祭が終わると周りが一気に受験モードに切り替わりました。

私はそこに付いていけずにいました。

その頃の私は勉強に全く無関心で、やる気はゼロ。夏休みの宿題なんて、最後まで提出せずにやり過ごそうとすらしていました(担任にこっぴどく叱られ最終的に泣く泣くやって提出しましたけど)。

一生懸命に受験勉強をして、大学に行ったらまた4年間も勉強をしないといけないと思うと苦痛以外の何物でもないと思っていたし、なんで周りのみんなは、そこまでして勉強をしたいのか、本気で分からずにいました。

でも、周りはほぼ全員が大学受験に向かって真剣に勉強しているし、なぜかろくに勉強していないのに定期試験や模試の成績だけはそれなりに良かったから、担任も親も私に期待している……。そんな環境下で「大学に行きたくない」なんて、とても言い出せずにいました。

進路の悩みに加えて、当時付き合っていた彼氏のことでも悩んでいました。

17歳当時の恋愛に不慣れな私(今も慣れているわけではないけど。笑)は、彼氏と仲がいい彼氏の女友だちの存在がとにかく気に入らなくて、そのことでよく彼氏と口論になっていました。それでも嫌われないように必死で、相手の一挙一動を過剰に気にして、神経をすり減らしながら付き合っていました。

演劇コンクールに文化祭に、と楽しんでいた秋頃から一転。高校2年生の冬はとにかく悩みが尽きませんでした。

私は今でも、悩み事を他人に打ち明けるのがとても苦手です。今は少しマシになったかもしれませんが、当時は文字どおり誰にも話せず、独りで悩み続けるタイプでした。

そんな私が意を決して、当時一番仲がよかった(と思っていた)友人に、「ちょっと悩み事があって……」と切り出したときに言われたのが冒頭の言葉です。

「あなたの悩みなんてどうせ大したことないじゃない」

繰り返し、繰り返し、私の脳内で響き渡ります。

いや、待って、聞いてほしいんだけど……。

そんなことを言えずに、「そっか……、そうだよね、大したことないよね」。
力なく笑って、その場を立ち去りました。

家に帰ってから、涙が止まりませんでした。

それから3日くらい、体調が悪いと嘘をついて学校を休みました。

私の悩みは大したことないのだろうか。

周りから見た私はきっと、いつでも明るくてノリがよくてお調子者な、ピエロのような存在で、悩みごとなんてないと思われていたのだと思います。

ピエロは悩んではいけないのだろうか……。

「あなたの悩みなんてどうせ大したことないじゃない」

きっと友人は、軽い気持ちでこの言葉を放ったはず。

だってピエロなら、こんな言葉くらい軽く受け流せるでしょうから。

しかし、友人の意に反して、この言葉は刃の如く、深く、深く、私の心を突き刺したのです。

希望のことば

3年生に進級すると、受験モード一色の学校に行きづらい日々が続きました。留年にだけはならないように気を付けながら、授業をさぼってぼんやりと生きていました。

2年生の頃は「進路のこと」「彼氏のこと」程度だった悩みは、「私はなんのために生きてるんだろう」くらい壮大な悩みへと進化してしまっていたし、「生きている意味なんてないんじゃないか」とさえ思うこともありました。

そんな学校生活での唯一の楽しみが、「演劇を研究する授業」でした。

3年生のカリキュラムには、総合的な学習の選択授業というものがあり、そのひとつがこの授業。
選択している生徒どうしで寸劇を創ったり、映画を鑑賞したりといった緩い授業で、この授業がある日だけは積極的に学校に行く気になれました。

3年の7月。

この授業を一緒に受けていたWくんが、「一緒に映画を作らない?」と誘ってきました。

Wくんは軽音楽部の同期であり、昨年の演劇コンクールでも同じチームでした。
彼が1年生の秋に生徒会長選挙に立候補したときには、推薦文を書いてあげたりするような仲でもありました。

Wくんの将来の夢は映画監督で、時間さえあれば映画を見て過ごしていること、休日には色んな場所に行って映像を撮って編集していることなども知っていました。

映画にはさほど興味がなかったものの、居場所を求めていた私は、この誘いを快諾します。

夏休み。

大半の同級生が塾に通ったり、学校で特別授業を受けたり、自習室で勉強に励んでいる中、Wくんと私、もう3人の有志メンバーで映画の撮影に明け暮れていました。

しかし、この作品は未完成に終わります。

キャスト役の1人から、ある日突然「やっぱり受験勉強がしたい」と連絡が来て、撮影が止まってしまったからです。

その日も朝から撮影の準備をしていたWくんと私は連絡を受けて、やり場のない怒りと悲しみに明け暮れます。

暫く泣き叫び、Wくんが廊下に設置された冷水器を蹴り飛ばしてぶっ壊したり……。

そんな感情の昂りが落ち着いたころ、Wくんが語り始めます。

「俺は映画監督になることが今の1番の目標だ。」

「でもその先に、もう1つ大きな夢がある。高校生がこんなこと言ったら笑うかも知れないけれど、みんなが定年退職したら、老後はみんなで劇団をつくって全国の小学校を廻って劇をやりたいんだ。子どもたちに演劇の楽しさを伝えたくてさ。」

すごい。私と同じ17歳なのに、そんなこと考えてるんだ。

生きる理由を見失いかけていた私にとって、Wくんのその言葉はただただ新鮮でした。

そして。

「まだ40年以上も先の話だけどさ、もし俺が劇団を立ち上げたら一緒にやってくれないかな?」

うれしいのか、なんなのか、わからない。
込み上げてくる感情の正体がわからないまま、自然と涙がボロボロと零れてきました。

Wくんは「あれ、俺なんか変なこと言った?」と、きょとんとしています。

「うれしいんだよ。まだ先だけど、絶対にやろうね。約束だよ?」

結局私は在学中には目標を見つけられず、高校生活に幕を下ろします。

親は今でも、私が別の高校に行っていたら、ちゃんとした大学に進学して、それなりの企業に就職していたかも知れない、といった小言を言うことがあります。

けど、私にとって、そんなことはどうだっていいのです。

あの高校に行ってWくんに出会っていなかったら、私は未だにもっと大切な「生きる希望」を見つけられなかったかも知れないから……。

高校を卒業してから、正社員として就職するまでに実に5年半も掛かりました。その間、本当に辛いことが沢山ありました。もちろん、今でも辛いこと、悲しいこと、苦しいことは、山のようにあります。

そんなときに私の支えになっているのは、いつでもWくんの言葉です。

今がどんなに辛くても、苦しくても、老後まで頑張って生きれば楽しいことが待っている……。そう思うと、私はどんなに辛いことだって幾らでも乗り越えていける。

私は高校3年の夏からずっと、そうやって生きてきました。

人の言葉が人に与える影響

ここまで高校時代のエピソードを紹介しつつ、傷ついた言葉と希望を与えてくれた言葉、2つに触れてきました。

この文章を読んでくださっている皆さんは、Twitterかnote、間違いなくどちらかのSNSを使っているはずです。

相手の顔が見えないSNS上では、現実世界よりも過激な言葉を使う人が見受けられて、よく悲しい気持ちになります。

画面の奥で言葉を受け止めているのは、感情をもった生身の人間です。

気軽に言葉を発信できるSNSだからこそ、相手がどう思うか、こんなことを言ったら相手が傷つかないか、細心の注意を払って発言する必要があると思っています。

一方で、少しでも誰かを励ましたい、支えになりたい、そんな言葉を届けるのは勇気が要ります。
過激な言葉は簡単に飛び交うのに、励ましの言葉は気軽に言いづらい空気があるかも知れません。

でも、その一言で救われる誰かがいるかも知れないのです。

私たちが発する何気ない言葉は、誰かの人生に影響を与えているかも知れない。

この投稿を通して、そんなことを考えていただけたらうれしく思います。

ちょうど、このnoteを書き始めたタイミングで #君のことばに救われた 投稿コンテストの結果発表が行われていました。
今回の投稿の一部があまりにドンピシャだっただけに、募集時期にnoteをサボっていたことを割と後悔しています。笑

君のことばに救われた 投稿コンテスト
心が揺さぶられる作品ばかりなので、是非たくさんの方に読んでほしいです。

最後に余談ですが、Wくんは結局のところ映画監督にはなれず、今は実家の蕎麦屋を継いでいます。笑

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。