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とびだせ!カンキョウ!


結構前のつぶやきで、長風呂していたら風呂がぬるくなってて、体が冷えてて、お腹が痛くなって、シソジュース飲みましたみたいな謎の投稿をしました。

あれって結局、ぬるま湯に浸かってる時っていうのは、自分がぬるま湯に浸かっていることに気づかないっていうことだと思うんですよね。



最近とある人と話をしていました。その人の妹さんが、スウェーデンに住んでいた、という話です。50人くらいの人々と話せば、兄弟が外国に住んでいる、または住んでた、なんて、結構普通に出てくる会話だと思うんです。

けれども僕はその会話に衝撃を受けました。「え、僕も住みたい」っていう自分の気持ちに気づいたから。

今現在、僕の周りでは、来月から海外で生活することになった。という人はいません。ただの1人も。住んでたよって人もいません。

でも僕、思っちゃったんですよね。
もし、僕の周りのうちの3人ぐらいが、

「1年だけ、夫の仕事で、ペルー行くことになったのー。」

「転勤で2年、台湾なんだよねー。朝ごはんお粥かー」

「サウナ好きすぎだから半年フィンランドで働いてくる!!」

って人がいたら、僕も自然と、行きたい!ってなって、

「自分って何を大切にしてるのかな。何を求めてるんだろ。今で満足してる?」って考えてしまっていたと思うんです。いやこれ、勘違いして欲しくないのは、鬼滅の刃別に好きじゃないのに、周りの人が見てるから見ちゃう、みたいな事ではないんですよ。誤解しないで頂きたい。

もし僕の周りに10人の友人がいたとして、「海外に住む」という選択肢を結構軽めに持ってたり、転勤でそういうことになっちゃった人達が3人もいれば、僕の考え方ももっともっと軽く「え、俺もじゃあ、考えようかなぁ。」ってなってたと思うんですね。多分だけど。でも現在の交友関係には、そういう人はあまりいない。だからこそ、なんかそういう選択肢が、「ない」かのように思ってしまうような気がしているのでござる。つまり、という言葉で言えば、つまり、海外に住むことが普通じゃない世界線で生きている、ということ。ででん。

環境が変わるって、コンフォートから抜け出さないといけない。いかにそれが自分の望んだ世界であっても、不安ってかならずあるはず。だから、僕は自分の本心に気づかないように、ぬるま湯に浸かっていたのかもしれない。いや、多分、仕事は頑張ってますよ。ちゃんと。いや多分ね。

今回、そのぬるま湯感を、人との会話で感じてしまったわけです。

いや勘違いしないで欲しいのが、日本に住んでたら、ぬるま湯ということじゃないですからね!

自分の本心に気づかないフリをして、やってみたいことに挑戦せずに無難に過ごしてしまうことをぬるま湯と言っているわけですからね!

いや、無難に過ごすことが悪い事だとも言っていないですからね!家族のために安泰を選ばざるを得ないってことってありますからね!(急に炎上対策。)


なんだか、そういう価値の転換って、突然やってきます。だから、なんかね、noteってそういう意味では色んな人々がいろんな暮らしの中で色んなこと綴っているから、

「そんな世界もたしかにあったな!!」って気づくことが沢山ありましゅ。

環境を飛び出すって勇気もいるしストレスだけど、でもやっぱり環境を飛び出すって、たぶん、なんか、生きてるって感じするんじゃないかなって勝手にそう思っている。


とりあえず今年はもっと講師やる!


もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。