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「つくね小隊、応答せよ、」(四)

その3つの影を見て、恐怖が弁存を包みました。


みっつの影は、薄くぼんやり白く光っています。

影の正体は、身の丈、七尺はあろうかという大きな大きな白い獣。手を伸ばせば、簡単に鳥居にぶら下がれるほどに大きな獣。

二足で歩き、手は地に届き、手足や顔は朱色。ふたつの目が血のように赤く光り、沢山の牙は、太い唇からはみ出て、茶色に濡れてぬらぬらと月明かりに照らされています。

白い影は、大きな大きな猿です。

年を経た猿が何百年もかかって変化する、狒狒と呼ばれる、もののけです。


3匹はあたりをぎょろびょろと見回しながら、棺の周りを囲み、そのまわりをゆっくりと周りはじめました。やがて、3匹の足並みが揃い始めます。


どっさ ど どっさ 


どっさ ど どっさ 


どっさ ど どっさ 


どっさ ど どっさ


静かな神社に、3匹の不気味な足音が響いています。


やがて、3匹はその足音に合わせ、唄のようなものを唄いはじめました。



こよい

このばん

このことを

はやたろうにはしられるな


しんしゅう

しなのの

はやたろう

はやたろうにはしられるな


こよいここには

こうぜんじ

はやたろうはあおるまいな


こよい

このばん

このことを

はやたろうにはしられるな


しんしゅう

しなのの

はやたろう

はやたろうはおるまいな




なんとも不気味なその踊りとその唄を、弁存は冷や汗まみれになりながら手を合わせ、凝視し続けました。


すると突然、1匹の狒狒が、棺の蓋を乱暴に開けました。

どぶらばららんっ

棺の蓋は夜空を舞い、

がらばっしゃーんっ

と地面に叩きつけられて割れました。


棺の中には、汗と涙と小便にまみれた娘が、たったひとりで、首を小刻みに左右に振り、震えています。







ぎゃああはははははっはふはあ


うひひひひひひっっひいひひひ


ははははははははははははは



うつくしいむすめだことしのむすめはきょねんははずれだったけどことしはうまそうじゃはらわたすするよ


そうじゃそうじゃうまそうなしろいむすめじゃうまそううまそうわしはしりがいい


わしはめんたまさきにたべるあとわしはこりこりしたみみからがいい



娘は、3匹の狒狒の恐ろしいその言葉に、気を失ってぐったりしてしまいました。

すると1匹が無表情に娘の足を掴み、持ち上げて、指先の爪で頬を傷つけます。

その痛みに、娘は意識を取り戻し、次は叫びながら暴れはじめました。

着物が乱れ、涙とヨダレと鼻水と、血と小便と汗が、地面に撒き散らされて、静かな神社に娘の半狂乱の叫び声がこだまします。



ねたらおもしろくない


そうそうこのこえがすき


そうそうさいごまでいきててくれなきゃ




やはり、神などではない。ただのもののけが村の人々を騙し、毎年娘をいたぶり、殺しておっただけだ、と弁存は思いました。

弁存は立ち上がり、錫杖をしゃしゃんっと鳴らし、3匹の前へ出ました。

「神の正体見破ったりっ!里の人を惑わし、娘を拐かし、欲のままに生きる業深きもののけよ!その娘を離せ!もう騙せぬ!逃げられぬぞ!」


3匹は、ぴくりとして一瞬驚きましたが、無表情で弁存のことを、じっと見つめています。

娘は、たすけてえええ、と逆さのまま泣き叫んでいます。



あああああなんだぼうずかはやたろうかと


はやたろうじゃなかたなあんだひとのぼうずか


ぼうずかよかたはやたろうじゃない



そして3匹は大きな声で笑って、また先程のように踊りはじめました。


「その娘を離せ!さもなくば!」




ずざっ




さもなくばなに?


ぼうずなにするの?


ぼうずどうするの?


ふと気づくと、棺の周りにいたはずの狒狒たちが、弁存を囲んで、無表情で見下ろしています。一瞬で、こちらまで移動してきたのです。


弁存は落ち着いた顔つきで数珠を握り、大声で経を唱えます。





或値怨賊繞各執刀加害念彼観音力咸即起慈心





すると狒狒たちは、耳をおさえ、3匹で、のたうちまわりはじめました。

うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい

苦しそうに、地面を転げ回っています。


歴劫不思議侍多千億仏発大清浄願


うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるいうるさいうるさい


やがて三匹たちの動きがゆっくりになり、力尽きてきました。

すると一匹が、ぼんやりした顔で片目を開けて、弁存の足首を長い手で払い、勢いよく彼を後ろ向きに倒します。

肉を叩きつけるような、鈍い大きな音がして、弁存は背中をしたたか打ち付け、声が出なくなり、お経が止まってしまいした。息を吸い、再度お経を唱えようとしますが、息ができません。


三匹がゆっくり立ち上がり、痛そうに顔を歪める弁存を見下ろし、一匹がつぶやきました。

ぼうずまずそう

それに同調するように、ほかの二匹もつぶやきます。まるで、目の前に弁存がいないかのように話しあっています。


そうだねそうだねぼうずはまずそうあのむすめはうまそう


ぼうずはいいからむすめをたべよ


そう言って一匹が、弁存が握っていた錫杖を奪い、弁存を軽々と持ち上げて、木の幹に叩きつけます。弁存は少し血を吐き、それでも木にしがみつき、狒狒たちを睨みつけます。

すると一匹が、奪ったその錫杖をぐにゃりと縄のように曲げて、弁存を木に錫杖でしばりつけました。そして、弁存の口の中に、娘の破った着物を詰めて喋れなくしてしまいました。

弁存はいくらもがいても弛くならないその杖の中で、声にならない声をあげて、わめいています。


さてばんごはんですねですよね


そうですそうですさめないうちにたべよう


ですよねみんなでけんかせずにたべようね



弁存は、目の前で繰り広げられるおぞましい光景を、泣き叫び、もがきながら、日が昇るまで見せられ続けました。

どれぐらいの時間がたったのでしょう。

疲れきって気を失った弁存が眩しい朝日に気づいてあたりを見回すと、破れた着物の破片や、ぼろぼろの棺、ちぎれた長い髪の毛、地面に溜まる血だけが残っていました。


狒狒も、娘も、どこにもいませんでした。






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