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百人一首で好きな歌part2 世間に揉まれる憂鬱さ

百人一首で好きな歌がある。part2
それは、アンニュイな雰囲気を醸し出すこの歌。

ひともをし
ひとも恨めし
あぢきなく
世をおもう故に
もの思ふ身は

現代語訳
人間がいとおしくも、また人間が恨めしくも思われる。つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には。

現代語訳は下記サイトからお借りしました。
https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/17/1411/

詠み手は後鳥羽院。
平安時代末期、武家が政権を握り、貴族の権力が無くなる中で詠んだ歌。
「ひともをし ひとも恨めし」で感情が高まったかと思ったら、
「あぢきなく」で消火し、
「よをおもうゆえ ものおもうみは」で説明する。
構成が美しくて惚れ惚れする。
また、飾り気のない表現だからこそ率直な気持ちが伝わってくる。

この歌のどんなところが好きかというと、偏らないところが好き。
歌は感情が高まったときに詠まれるものだから、人に関するものは、あの人が好きだとか、いけずな人に皮肉を言ってみるとか、何らかの感情に偏る内容が多い印象。
この歌は、人間が愛おしくもあり恨めしくもあるというアンビバレントな感情を歌っている。
苦しいけれど、そういった感情をゼロにすることができない。だから憂鬱さが消えない。まるで袋小路だ。

当時の天皇と、現代の矮小な私は余りにもサイズ感が違うけれど、人のことを完全に好きにも、嫌いにもなれない自分は共感する。
私は、どんなに身近な人でも敵味方とはっきり分かれるのではなく、状況次第で立場は変化すると考えている。日和見菌みたいなものだ。

政局が不安定なこの歌が詠まれた頃において、味方だと思っていた人に裏切られるのは日常茶飯事だったと思われる。しかし、そのなかでも人の真心を感じる出来事もあって、人間の醜さと美しさの両方を嫌になるほど味わった結果出てきた歌なのかなと感じる。
(歴史的な知識はありません…ただの妄想であることをお許しくださいm(_ _)m)

私にとって、全部が大好き!という人はいない。
どんなに好きでも、あ、今少し嫌だったな。と思う瞬間がある。あと完全なエゴだけど、好きだからこそその人が思いどおりにならなければ少々恨めしくなってしまうこともある。
また、すべてが嫌いな人もいない。
よほど性悪な人でない限り、苦手な人でも、「そういうところは純粋なんだな…」みたいな、嫌いになりきれないところを見つけてしまう。
往々にして、恋バナ惚気話悪口が盛り上がることから分かるように、誰かのことがすごく好き!!とか、大嫌い!!となることで人は盛り上がるものなので、私は傍から見たらつまらないヤツだと思うし実際自分でもそう思う。

この歌に解決策は提示されていない。
ただ、むなしい。現世を生きる憂鬱さを感じるのみだ。
生きている限り、人間は人間から逃れることはできないから、死ぬまで世間に揉まれて、人がいとおしくなったり恨めしくなったりするのだろう。
でもそれが、人間として生きる醍醐味なのかな。
そして機会に恵まれれば、そういう感情にしばられない「悟り」というやつを獲得できるのかもしれない。



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