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書いて公開することの効用

最近Noteに毎日投稿している。

毎日投稿って、小学生のときの連絡帳を思い出す。
私が使っていた連絡帳には、時間割の横にその日の出来事を書く欄があり、毎日書いて提出していた。

読者は担任の先生ひとり。
連絡帳という密室の中で、
先生を笑わせるには、感心させるにはどう書こうか?
と子どもなりに工夫して書いていた。
今考えてみれば、立派なアウトプットだ。

アウトプットについてよく聞くのが、
悩みを自分用のメモやノートに書くとスッキリするということ。
個人的な実感としては、
自分だけが見られる範囲に閉じ込めておくと、
悲劇的な結末、極端な思考にしかならず、なんの解決にもならないことが多い。
病んでいるときは、何も書いても結論が「だから自分はダメなんだ…」になってしまう。
だいぶ偏っている。

誰かに公開するということが前提にあると、
客観的な視点での推敲が入り、形が整ってくる。
それは自分を整理することにつながると感じている。

私が好きな坂口恭平さんもXでこう言っていて、なるほどーと思った。

「悩んでも止まらずに作り続けるなら、それはもう悩みにならないので、それは創作していることのお陰なので、感謝してる。鬱の泣き言もただメモしてるだけだと悩みになるが、原稿にして本を書くと決めて泣き言を書くと、もうそれは悩みではなくなって、創作になる。これはいつも不思議な気持ちになる反転」
2024/3/11のポストより

書いて公開することで、調子いいな〜と思ううちは、ずっと続けてみようと思う。
ちょっとおこがましいけれど、原稿にするような気分で。

今までは、継続って強制されないとできなかったけれど、今回は違う気がしている。
少し嬉しい予感。


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