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現実は妄想を超えない 親知らず抜歯から学んだこと

27歳にして、上2本の親知らずを初めて抜いた。

顎が小さいので、親知らずはほぼ歯茎に埋まったままだった。
でも、少し顔を出してきており、悪影響が怖いので抜歯した。

私の周囲で親知らずを抜歯した人がちらほら出始めたのは、高校生くらいのとき。
彼らは大人の階段を上ったちょっとした勇者となり、「親知らずの抜歯は痛い!!ヤバい!!!」ということを多少大げさに周りに広めていた。
そんな悪評を聞いてぞっとした私は、親にばれて歯医者さんに連れていかれないよう、親知らずが頭を出そうと頑張ることで生じる痛みに耐えまくり、ずっと内緒にしていた。
これがほんとの親知らず(うまくない)。

大学生になり、周囲の経験者はさらに増えた。
抜歯後はほぼ何も食べれない、血が止まらない、入院して抜歯する、、、等々壮絶な体験談を聞かされた。
私の中の親知らず抜歯のイメージはとんでもないことになった。
「生きて帰れるのだろうか…?」

先日ついに来た自分の番。
もうダメかもしれない。絶望に打ちひしがれながら、足取り重く歯科医院に向かった。

そして、終わった。
すごく、あっさりと。

不快だったことは確かだ。
ゴリゴリゴリゴリと、埋まったヤツを引っ張りまわされて、何するんや!って感じだった。
なんか歯をバキゴキ砕いてて、こわ!とも思った。

でも、麻酔効いてたし。
30分くらいで終わったし。

まさか全然大したことない?私の今までの恐怖は何だったんだ…。
抜歯後の鈍痛も、痛み止め2錠を消費する程度だった。
2時間後にクロワッサンとか食べてた。

下に比べ負荷が少ない上の歯だったことと、そこまで面倒な症例ではなかったことも関係していると思うけれど、およそ10年間の恐怖に釣り合わない程あっけなかった。

昔、歯医者さんに、こう言われたことがある。「だいたいのことは、想像より大したこと無いのよ」
毎日大小さまざまな治療をしている歯医者さんが言うのだから、多分間違いないのだろう。

考えすぎな人の想像は、現実よりよほど大袈裟で、どんどん暴走していく。
その結果、生まれたものを妄想と呼ぶのかもしれない。

まだ起こってもいない物事について妄想することは、多大なエネルギーを消費する。
それは、良い方向でも、悪い方向でも。

未来はどう頑張っても分からないのだから、過剰に恐れず考えすぎず、今ここをニュートラルに生きていきたい…そう感じた出来事だった。

下2本もいつか抜くんだろうな、ガンバリタイナ…。

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