マレーシアに来て早3週間。 3週間と聞くと意外と 時間が経っていないようにも思えるが、 1日1日が過ぎるスピードはすごく早い。 うれしい。 このまま気が済むまで突っ走るぞ。 この間にあったことを まとめたかったけど 毎日が濃すぎて どれを記していいかがわからない。 あまり日を開けるものではないな… 毎日状況が劇的に変化しすぎて 週に2回くらいする親との電話でさえ 報告が多すぎる。 そんな中でも大きな出来事といえば 学校でもう一人の日本人の先生と出会ったこと。 今の部屋に入
やっとだ! 入国から11日目でホテル生活から脱出した。 都会と違ってコンドもないし、 学生の街だから大体の住居は学生用で、 それ以外はファミリー用の一軒家。 イスラム教ではないという理由で 幾度となく断られ、 大家を中国人に絞って 探し始めたらあっさり見つかり そのまま入居を決めた。 ホテルの生活は快適だったし、 学校からも車なしで行けるから 嫌いではなかったけど 家が決まっていないという精神的不安と 圧倒的なコスパの悪さから 早く住所を持ちたかった。 ようやく見つけたアパ
初めて朝に書く。 家決まっていません。 来て一週間で決まらないのは 普通のことだけど、 思ったよりも選択肢がなくて 苦戦している。 電話かけても 外国人だからあっさり Fullと言われてしまうし、 ムスリムOnlyの部屋ばかりだし。 なにより車がないから気軽に内見にも行けない。 昨日やっとSimをアクティベートできたし、 なにをしても八方塞がりだった。 そういう一つ一つのことがクリアになって 住めば都になっていくんだろうと信じてはいるが。 予定調和が好きな自分にとって 海外
毎日いろんなことがあり過ぎて、 書きたいことが多いのに無理。 やること多過ぎて時間がないし、 疲れて頭が働かないし、 次の日のために寝なきゃ行けないし、 働くってこういうこと。 正直かなり大変。 いろんな国にいろんな制度で 生活してみたけど、 今回は自分の人生観が変わる かなりの困難になっていることは間違いない。 真っ暗闇の荒地を開拓するがごとく、 何も見えない。何もできない状態。 合言葉はいつも 『マレーシアだから』 『来たばかりだから』 で、マレーシアにいる尊敬する人たち
担当者に内見に行きたいかと聞かれ そりゃ当たり前だろと二つ返事をし ドライバーを出してくれることに。 一応マレーシアに来る前に 家の探し方や注意点を予習していた。 しかし全く意味がない。 田舎だから世に蔓延る情報が全く当てはまらないのだ。 大手の物件情報サイトで1件もヒットしないくらい。 担当者からは、 アシスタントなしでとは言われていた。 事前にFacebookと 私からは見つからなかった物件サイトの リンクのみが送られてきて、 そこからどう探すのかは指南してもらえなか
長いようで短い1日だった。 朝9時に今できる手続きがないから 15時にStaff Passを作りに迎えに行くと言われ 昼まで二度寝することに。 ホテルの周りにはなんの食堂もカフェもない。 ということで久しぶりにGrab Foodを頼んでみることに。 一番助かったのは現金支払いができたこと。 まだマレーシアで銀行口座を開設してないから 日本のカードは使いたくなかった。 Panda Foodにマックがあるから食べたかったけど なぜか住所の設定が何回やってもできず諦めて ケンタッキ
9時に迎えが来るということで準備。 昨日の段階では、 今日の予定は健康診断だけだと聞いていた。 聞いていたが・・・ まず健康診断に持っていく書類を 私がプリントアウトしてないことが発覚し 大学の事務所へ。 その後病院(一軒目)に向かうが、 結果が出るまで時間を要するということで 次の病院へ。 空いていたし、 受けてもらえるとのことで マレーシアで初めての健康診断。 なお残念ながら初めての病院ではない・・・ 朝の段階で健康診断費用は自己負担だと聞いて そんなことは知らなかっ
4年ぶりのマレーシア、ついに到着。 飛行機は大学に支給していただき、こちらも久しぶりのJALで。 (最初はBATIK AIRで申請したが、不可とのことでJALに) 渡航までの流れもいろいろあったがここでは割愛。 成田を11時に出発し、18時にクアラルンプールに到着。 時差が1時間で約7時間半のフライト。 当日の朝自宅から成田に移動することも可能だったが、 道中何があるかわからないから念の為、 という父の意向で贅沢にも前泊して向かうことに。 東横インの本館に宿泊。 こちらも
2024年2月14日、イタリアのミラノで男子バレーを観戦してきた。私が長年願い続けてきた夢がついに叶った。 男子バレーといえば、私が世界で一番見るのが好きなスポーツ。幼い頃からテレビでW杯を楽しみに見てきた。今は昔、ラグビーとバレーのW杯の時期が被った時は父と怒鳴り合いのチャンネル争いの結果、見事に敗北しいい年して大号泣した記憶さえある。当時単純に好きだから見たかった。が、父親に対し”ラグビーなんて日本が強くなる前は興味がなかったミーハーのくせに”という思いと、ラグビーの対
ついに投稿。 今まで自分の経験をどこかに記しておきたいなと思い早何年? 軽く10年は経ったのではないかというほどの 重すぎる腰をあげてようやく始動。 きっかけは、ありがたいことに比較的退屈のしない毎日のおかげで 思い出がアップデートされ続け、過去の記憶が全くない(笑) 瞬間瞬間は脳と感情がフル稼働し、 おそらく思うこと・感じること・考えることは、 他の人より多いはずなのに、過ぎてしまえば何も覚えていない。 今は猪突猛進で生きてるけどいざ立ち止まった時に 何も覚えてないのなん