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10/21 20:00〜

家に帰ろう。シャワーを浴びながら、そう決める。お風呂から上がったら、家に帰る。愛犬は、明日夫と迎えに来よう。
今日一日、何度も何度もイライラした。きっと私だけじゃない。妹たちもイライラしただろうし、母も疲れただろう。

産後はどうしよう。シャンプーやコンディショナーで髪を洗い流している間、しばらく考える。産後直後の1ヶ月は実家で過ごす予定だった。けれど、金曜日から実家に泊まりはじめて三日目の今日で、限界を感じてしまった。1ヶ月も実家で暮らすのは、無理だろうな。
新生児の育児はものすごく大変だ、わかっている。眠れない日々が続くし、1歳児のいる我が家にはどうしても母の手助けが必要だ。けれど幸い、家と実家は近い。母と産後直後どこで過ごすかを話したときに「手伝いに行けるよ」とも言っていたし、そっちの方向で考えるのもアリかもしれない。
私だけじゃない、全員のために。

息子を産んだ直後の1ヶ月、実家で過ごしたことを思い出す。私はただ、寝る・食べる・授乳さえすれば良くて、睡眠不足ではあったけれど、それ以外のことで困ることはなかった。それなのに、夫に対してすごくイライラしていた。忘れもしない、産後間もないバレンタインデーに、夫につらつらと文句の手紙を宛てたことを。
私が一方的に夫に父親らしさを求めていたことも原因ではあると思う。けれど、なんだか実家との関係でうまくいかない部分があることに目をつむり、そのストレスを夫にぶつけていたのかもしれない。

実家と仲が悪いわけではない。母とも妹たちともよく出かけるし、どちらかと言えば仲は良い方なのだろう。いや、仲が良すぎるのかもしれない。全員が思ったことをそのまま口にできてしまうのだ。イライラを120%くらいでぶつけることができるし、もちろんぶつけられることもある。それがもう、私に合わなくなっているんだと思う。普段はそうじゃなくても、しばらく実家にいればそういう関係性に戻っていってしまう。

妹二人の、娘として甘えている感じにすごく嫌悪感を覚える。過去の自分を見ているような気になるからだろうか。それなのに、私は妹二人に自分と同じくらいの育児の責任感を求めてしまう。分身のように、感じてしまっているのかもしれない。
母の、私を子ども扱いしたり、一人の母親としてのしっかりさを求めてきたりするあたりに、怒りや悔しさ、申し訳なさを覚える。それと同時に、母親という同じ立場としてきっと理解してくれているだろうと、もっともっとと求めてしまうこともある。

そんなことに思い巡らせていると、やっぱり実家に1ヶ月いるのとは無謀な気がした。自分を洗い終え、浴室の呼び出しボタンを押す。三女の妹が裸の息子を抱きかかえて連れてくる。

今日は遅くなってしまったからシャワーを浴びるだけ。息子をいつも通り自分と向かい合わせになるように座らせ、髪や体をパパッと洗い、流していく。
昼寝してないからもう眠たそう…というか寝てる感じだ。時々目を開け私の顔を見て確認しては、再び目を閉じる。
息子を洗い終えて呼び出しボタンを押すと、あまりの早さに驚いた妹が「呼んだ!?」とドアの外から声をかけてくる。「呼んだよ」とだけ答えるけど、自分の声の低さにすこし驚く。

風呂上がりの息子のことは妹に託し、自分もお風呂から上がる。タオルで全身を拭き、下着をきて、ロング丈のワンピースをかぶる。洗面所では、化粧水や乳液を塗っていく。

その間に、母と次女の妹が帰ってきた。息子の名前を呼びながら、一階の玄関から二階のリビングまで上がってくる。三女の妹は、息子が中々服を着させてくれないようで、あやしながら頑張っていたけれど手こずっていた。そんな時に母と次女が帰ってきたので、三女はヘルプを求める。
「なんでできないの?」「◾︎◾︎をYouTubeで流せばいいじゃん」
「じゃあやってよ!」
「いやできるでしょ」「まだ手洗ってないし」
「ほら、こうやって嫌がるんだよ!」
というやりとりを脱衣所で聞いて、やっぱり家に帰ろうと決意する。

息子のことで、誰かが言い合うのを聞くことがすごくストレスになるんだと気付いた。例えば、今日みんなで出かけた先でも「ちゃんと見ててよ!」と誰かが言ったり「親でしょ!」と言われたりする場面がいくつかあった。そういったことの積み重ねなんだと思う。

「帰るー」と口にしたら、一気に心が軽くなるのを感じる。帰れる、我が家に。父は少し戸惑っていたけれど、母は「その方がラクなんでしょう?」と言ってくれた。「なんで?」と聞かないでいてくれて助かった。聞かれたらきっと「イライラするから」と答えてしまったと思う。

何で帰る?と父に聞かれ、タクシーで帰ると答えると、父は「お酒飲んじゃったから送れないしなあ…」と少し悩んでいた。タクシー以外の選択肢はないのに、なにかを躊躇っている。母に「タクシー10分で呼べるけど、どうする?いつ呼ぶ?」と聞かれる。「髪は乾かしたいし、フォローアップミルクだけその間に飲ませちゃおうかな。きっとすぐ飲み終えるから」と答える。母は、フォローアップミルクを作りはじめる。

ダイニングテーブルに置いてあったiPhoneを持って再び脱衣所に行き、ドライヤーで髪を乾かしはじめる。
夫からメッセージがきていた。お風呂に入る前に私が送った「産後実家に帰ってくるのやめようかな。なんかイライラしちゃうや」と汗をかいてる絵文字つきのメッセージの返事だった。「そうか、了解」とのこと。ニッコリマークもついていた。

ふと、夫の実家に帰省したときのことを思い出した。普段の夫からは想像つきづらいほど、夫はぶっきらぼうで無愛想で、偉そうで、私への対応がものすごく雑になる。私は戸惑い、どう対応したらいいのか分からない上に、偉そうな夫にイライラしっぱなしだった。
帰省から帰ってきたとき、夫にそのことで文句を言ったことがあった。夫も自覚していたようで「なんでかは分からない、もしかしたら18歳の頃に戻ってしまうのかもしれない」と言っていた。それからというもの、義実家に帰省する前は「気を付けてね」と念を押すようになった。
もしかしたら、私も夫と同じなのかもしれない。突然実家には居場所がないような気がして、涙が出てくる。私はもうこの家の人間ではないし、嫁にいくとはこういうことなのかもしれない。結婚式のときはあまりその意味を分かっていなかったけれど、いまその意味を身体で理解した気がする。

息子がフォローアップミルクを飲んでいる間に、帰り支度をする。持ち物をリュックサックに詰め、貴重品をショルダーバッグに入れる。息子のスクールのリュックには、実家から持って帰りたい絵本を入れた。

母が「マンションまで行く?」と聞いてくれたけど、その方がもちろん助かるなあとは思ったけれど、なんだか甘えられるような気分ではなくて「別に大丈夫だよ」と笑いながら意地を張る。まるで反抗期の子どもに戻ったみたいだ。

タクシーが来たので、荷物をすべて持ち、二階から一階に降りる。息子を抱っこして待機していた父と一緒に玄関を出て、タクシーの前で息子を受け取る。父は「本当に大丈夫?」と聞いてくれたけど、目も合わせず「大丈夫だよ」と答える。
父は優しい。優しいけれど、かゆいところに全く手が届かないような優しさだ。父にイライラしてしまうこともあるけれど、イライラしてしまう自分への苛立ちの方が大きくて、でも結局その苛立ちすらも父のせいに思えてきてしまう。目を合わせられないことを、心の中で謝る。

タクシーに乗り込み、家までの道を説明する。父が家の門のところでずっとこちらを見ていたから、息子の手をつかんで手を振った。父も手を振り返していた。車が動き出し、息子も眠たいのか大人しく私の膝で座っていたから、iPhoneを取り出す。夫に「おうち帰ってきた」とメッセージを送る。時間を見ると、夫から返事がきていたのが20時5分で、いまは21時5分だった。

息子がなんだかキョトンとして、今からどこにいくんだろうという顔をしているように見えたから「おうち着いたら歯ブラシしてすぐ寝んねしようね」と声をかける。そんな風に声をかける私は100%母親で、いつもの自分に戻っていくようだ。窓の外を見つめながら、私は娘にも姉にも母にもなりきれない状況がしんどかったのかもしれないと思う。

マンションの前に着き、支払いを済ませ、息子を抱きながら家まで帰る。家の中に入り、電気を点けてから息子を玄関でおろす。鍵をかけると、安心感と解放感で心が満たされていくのを感じる。

夫から「お疲れ様!」というメッセージが届いた。

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