凪良ゆうさんの流浪の月を読みましたー
さて本日は凪良ゆうさんの流浪の月という作品を読みましたのでそちらの読書感想文を綴っていきたいと思いますよー。
この話は主人公の更紗が少女の時に大学生の文に誘拐されるのですが、その前後を更紗の視点で描いた物語です。(最終章は除きます。)
更紗は誘拐される前は親に捨てられ、親戚の家で過ごしていましたが、彼女にとってそこは居心地の良い場所ではありませんでした。
そんな時にどこか助けを求めて大学生の文についていくことになり、結果的にはそのことにより社会的に誘拐が成立してしまいます。
大学生の文が少女を誘拐して永続的に隠し通せるはずもなく、文は警察に捕まってしまうのですが、更紗にとってふみと過ごした日々はとても幸せなものでした。
しかし、誘拐犯が誘拐した少女に対して凶悪であるという刷り込みというか、先入観によって更紗は同情される対象になってしまいます。
更紗にとってこの生暖かい同情や中途半端な優しさがこの後の彼女の人生をとても苦しめるものになってしまいます。
彼女にとって文は苦しい日々から救い出してくれた救世主ですが、世間一般的には文は少女を誘拐した極悪人でありそこの間隙に更紗は苦しめられるということです。
印象に残っている場面はまさにこの感情による更紗に対するあらゆる人の優しさです。
更紗ちゃんは小さい時に酷い目に遭ってきたんだものね。
きっと色々あるんだよね。
辛かったよね。
という、たまたま優しいという言葉の定義に当てはまってしまうがゆえに、自分はいいことをしているのだ、という善良な人たちほど、より深く更紗を傷つけてしまうということが印象的でした。
少し話が逸れるかもしれませんが、現代社会では特に多様性を重んじる時代であるからこそ、こういったことには気をつけなければならないことのような気がしました。
多様性や人の個性を受け入れるということは素晴らしいことですが、わかりもしないことをわかった気になって、中途半端に肩入れすることは何もわからない以上に傷を深く抉るということです。
一方で理解しようとする姿勢や傾聴することはすごく大切なことです。
私の中での結論は、相手を完全に理解しようとする姿勢を持ちつつも、完全には理解できないということを忘れないことが大事だということです。
他人のことなど究極的にはわからないのだと思います。
そんな中で我々にできることは想像力を磨くということだと思います。
わからないことを自分の中でわかった気になるのではなく、わからないなりに想像をしてみるという姿勢をとることが大切だと考えました。
本日は以上です。
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