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河童との出遭いが切り拓いた道

私が小学生だった頃、近所に住んでいた仲間たちと、雨が降った時だけ水が流れる沢の探検によく出かけていた。沢を登っていく途中には、防砂堤や大きな岩など、今思えば危険な箇所がいくつもある。年下の仲間を守り、年上のお兄さんの姿に憧れ、危険を冒しながら道を切り拓いていく―。そんな瞬間が楽しくて、沢の探検をしている時だけは、周囲から貼られる「真面目」というレッテルを意識することなく、ありのままの自分でいられるような気がした。

この日探検に出かけたメンバーは、私、弟の健介、近所に住んでいる2学年上の蒼馬の3人。いつものように上流へと登っていくと、突然見慣れない幻想的な景色が広がった。まるで中国庭園のような風景。一面に広がる湖には「亭」のような建物がある小島が浮かび、橋が架けられている。にわかには信じ難い光景に、3人はしばしその場に立ち尽くした。次の瞬間、大きな目を持つ人型の謎の生物が目の前に現れた。「河童だ!」私は直感的にそう思った。辺りを見回すと、泳いでいるもの、歩いているもの、息絶えているのか地面に横たわるものなど複数体いるではないか。数秒間、その生物にじっと見つめられた。恐怖心と好奇心の狭間で心が揺れ動いたことを今でも鮮明に記憶している。

そこから、どうやって元の世界に帰って来たのかは覚えていない。ただ、3人が物凄い形相で私の家へ駆け込み、「大変!河童がいたんだ!」と興奮気味に母に話したことは確からしい。3人は急いで母を連れて沢へと向かった。しかし途中の道は土砂崩れで塞がっており、二度とその場所へは辿り着くことができなかったのだった。

やがて小学校では河童の噂が広まった。クラスの仲間から「お前、河童見たのかよ!」と尋ねられ、私は体験したことを話した。秘密の世界を覗くことができたという少しばかりの優越感と、その時の喜びや興奮を周りの人たちと分かち合いたかった。しかし、大抵の反応は「嘘」や「夢」と疑われるか、適当に流されるかのいずれかだった。

そんなある日、私と一緒に帰るため教室の前で待っていた健介に、私の同級生たちが詰め寄った。「お前の兄貴、河童見たらしいじゃねぇか!」「河童なんて、いるわけねぇじゃん!」「嘘ついてんなら、ぶっ飛ばすぞ!」―。そう言うと、持っていたボールを何度も健介の顔近くに投げつけた。あまりに卑劣な仕打ちに私は憤り、帰りの会中の教室を飛び出して同級生たちを追い払った。健介は泣いていた。彼に何も罪はない。そう、私が「河童を見た」と友人たちに話してしまったことが、結果として健介を傷つけてしまったのだ。

この出来事をきっかけに、私は「河童を見た」という記憶を封印することにした。「そうだ、あれは夢だったのだ。みんなが言うように、河童なんてこの世に存在するわけがないじゃないか!」―。そう自分に言い聞かせながら、これまで通り「真面目」を装って生きることにした。沢の探検にも、それ以来行かなくなった。「河童」の存在を否定することによって、周りとのズレや争いは生まれなくなった。「真面目」を装うことで、周りからはそれなりの「評価」を得ることができた。けれど、何かが物足りない。大切なものを失い、心にぽっかりと大きな穴が空いた気がした。

そんな私の封印を解いたのは蒼馬だった。蒼馬は、閉塞感漂う学校の空気や、彼の優しく繊細な心に気付けない教師たちによって傷つけられ、声にならない叫びを表出していた。私にとって大切なお兄さん的存在である蒼馬。そんな蒼馬がなぜ「問題児」というレッテルを貼られなければならないのか。子どもながらに私は疑問を抱いていた。

〝あの日〟から数年が経ち、蒼馬の小学校卒業が間近に迫ったある日。彼との会話の中で、ふと昔していた沢の探検の話題になった。〝あの日〟を境に心に封印をした私と、様々な苦しい体験を重ねてきた蒼馬。小学6年生という多感な時期に差し掛かった彼は、果たして河童に出遭ったことを覚えているのだろうか。それとも「なかったこと」として記憶から消してしまったのだろうかー。「ねぇ、あの時、…河童、見た…よね?」私は勇気を出して尋ねてみた。蒼馬にだけは〝あの日〟のことを覚えていて欲しかった。

「うん!」

柔らかな笑顔を浮かべて頷いた蒼馬の姿を、私は一生忘れない。「そうだ!河童はいたんだ!河童は、この世にいて良いんだ!」

十数年の月日が流れ、私は子どもたちと関わる職に就いた。「河童などいない」という価値観が未だ根深い社会と、河童を見ることができる眼や心を持つ子どもたちとの狭間で、ふと〝あの日〟の記憶が蘇ることがある。子どもたちが未知との出遭いに心震わせ、安心して「河童を見た!」と表現できる社会を創るー。それが河童に出遭った者の使命なのだろう。夢が現か分からぬ〝あの日〟の記憶を胸に、これからも危険を冒しながら道を切り拓いていきたい。

#2000字のドラマ

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