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3/1 【存在がみんなを笑顔にする、君から学ぶこと】

本日、僕が愛して愛してやまない甥っ子が1歳になった。

1年前、僕の母親(彼のおばあちゃん)から今日産まれそう!と連絡が入り、ドキドキしていると、すぐに吉報が届いた。そして僕は叔父になった。

自分が小さい頃から、友達の弟妹、知り合いの赤ちゃんを愛でるのが好きだった。単純に赤ちゃんという存在が好きだった。何を考えているかも分からない、急に笑ったり泣いたりするその姿はThe人間、いや動物に近いものを感じていた。だがしかし、身内の赤ちゃんは別格の可愛さである。無敵。

帰省するたびに、会いに行った。いや、会っていただいた。笑
産まれてから今日に至るまでの成長スピードは驚くほどに早く、自分の子供でもないのに「なんかこの成長をしっかり目に焼き付けないのは、後悔しそう。」と、完全な甥バカモード全開になってしまい、出来ることならその1つ1つの成長を見逃したくなかった。


両親やばあちゃん、ひいばあちゃんの助けもあり、これ以上ないくらいスクスク育っていった。毎回毎回会うたびに、ニコっと人見知りもせず笑顔をくれる君に、僕は完全に虜になっていた。もう好きが止まらなかった。いつしかまた次会うために頑張るぞーと、自分の原動力になっていた気もする。それは僕だけでなく、自分の母親を見ていると猛烈に感じた。


このツイートを見て、本当に良かったと思えた。正直、母親も公私ともにこの数年は大変だったと思う。僕もたくさん迷惑をかけたし、たくさん助けてもらった。急に京丹後へ行くぞと相談なしに話した時も、何も言わず背中を押した母親に、最愛の存在が誕生したことは言うまでもなかった。僕の赤ちゃん好きは母親の血だとも思うくらい、彼女も赤ちゃんという存在が好きだ。そして産まれた初孫に、興奮を抑えられないのが見て分かる。注ぐべき愛情が、ちゃんと彼に伝わっているのも分かる。


ただそこにいるだけの存在が、周りを笑顔にする。これは、歳をとるたびに難しくなってくる。というよりも、そこにいるだけでは、誰も見つけてくれない。人間関係が広がっていく中で、自分はどこに愛を与えればいいの?信じられるのこの人たちは?なんて雑念がよぎってくる。大人になるって、複雑だねえ。

ただ甥っ子を見ていると、無理に愛されようとしていないから愛されているんじゃないかと思う。周りに迷惑をかけても、可愛さが帳消しする。では、大人になった時、僕らは可愛さでなく何を携えればいいのか。少し自分の中で答えが見つかっていて、それは素直さと弱みの受け入れだと思う。

完璧キャラは、愛されるよりも尊敬や崇拝されるに近い。例えば、うちの甥っ子がもうペラペラ話し始めるとする。多分、天才児という異名になる。愛でなく羨望、尊敬の念。これは大人になっても変わらないロジックな気がしている。

どう生きるのかなんて、勝手に決めればいい。でも、常に完璧を目指そうとすると、この人って自分でなんでもやっちゃう?と判断されかねない。無理。1人で何かを進めるの、無理。時には赤ちゃんの気持ちになって、素直に助けてと言ってもいい。自分はこれが弱点で、、と弱みを見せてもいい。

幾つになっても、赤ちゃん心持っていようぜ。


サポートしてもらえたら、いつか還元できるように頑張ります。