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31.設計製図第4

4年生の前期には設計製図第4の実技科目があり、後期にはいよいよ卒業設計の製作に入る。その前に前期の設計製図をクリアしなければならない。設計製図第4の課題のテーマは300人規模の美術大学だった。敷地は多摩美術大学の敷地である。ここに新設の300人規模の美術大学の施設の設計をする。ただし、今現在の敷地ではなく、周辺の再開発を盛り込んだ敷地の青焼き図面が与えられた。
まず、メインアプローチを考える。当時は、周辺再開発がされてなかったので、八王子駅からのアプローチも、相模原の橋本からのアプローチも野猿街道からの一本に限られていたのだが、再開発されると、敷地東側の新設道路から新設された京王相模原線の多摩境駅が最も近い駅になり、そこが大学の最寄駅になると考えた。いま、Googleマップで見てみると、かつての野猿街道からキャンパスに登っていく坂がなくなり、キャンパス東側の道路沿いに図書館ができ、その北側がメインアプローチになっている。ちなみに、その道路の東側に「ビバモール八王子多摩美大前」という大型商業施設が2022年の春から初夏にかけて開業する予定であるという。ビバモールにはホームセンターもテナントとして入る予定だそうで、学生が画材を買いに来るのも期待されているそうである。
さて、私のキャンパス計画であるが、美術大学という特別な学校なので、通常の教育環境以外に社会に開放された大学として、一般の人も利用できる美術館やギャラリーも併設したい。また、学科の教室以外にも作品製作のためのアトリエやスタジオも必要である。その他、図書館や学食、ラウンジなど必要と思われる施設をどんどん詰め込んで最初のエスキースを持っていったところ、教授から「300人という定員を考えろ」と突っ込まれた。明らかに施設の規模がオーバーだったのである。最初のエスキースから不要なものをどんどん引いていかないとならない。ちなみに、エスキースとは、スケッチのことであるが、語源的には、「下絵」を指す。日本では、建築や、環境デザインに関連する計画の初期にコンセプトや概念図等を簡易にまとめ、検討する際の資料作成作業も含むため、この行為全体をエスキース、またはエスキスと呼称している。
何度もエスキースを繰り返し、作品を提出してもなかなか合格点がもらえず、再提出を繰り返してなんとか最終的に合格点をもらったのは、敷地東側のメインアプローチの道路に面して卒業生と大学が収集したコレクションを展示する一般的なタイプの美術館と講義室とセミナーホールを合わせた学科棟を配して、その真ん中に主要な入口を設けてキャンパスに入っていくという計画である。美術館は「メタボリズム(新陳代謝論)」を唱えていた黒川紀章設計の国立民族学博物館を意識したもので、中庭を中心に収蔵品の増加によってセル(細胞)としての展示室をいくつも増築可能な平面計画にした。まああ、気持ちとしてはメタボリズムとミニマリズムの融合である。
また、在学の学生の作品の展示スペースとして美術館とは別に可変可能な倉庫のようなギャラリーも計画した。この倉庫のような建築のデザインは、2年生の時の設計製図第2の現代美術ギャラリーで味をしめた私のお箱である。学食や体育館、図書館などは一般的な、それほどこだわった設計はしていない。と言っても、学食とラウンジ棟は、ちょっとデザインしましたということをアピールしないといけないので、安藤忠雄の作品っぽいコンクリート打ち放しのRを取り入れたデザインにしたが、私はこういう、いかにも作品といった単体の建築のデザインにはもう興味を失っていた。私の興味の対象は建築のデザインから都市の記号へと変わってしまっていたのである。
私のキャンパス計画で特徴なのは、アトリエと研究室を兼ねた所要人員10人の6戸ひと繋がりの研究棟を5棟配して、それと平行に、どんな作品でも製作可能な大きめの工場を2棟計画したことだろうか。この当時は、まだ今のようにデジタル・アートやメディア・アートが主流になると予想できていなかったので、手作りの作品にまだ重きを置いていた。まあ、いくらデジタル・アートやメディア・アートが主流になっても、まだまだハンドメイドな美術作品はなくならないのは当たり前で、伝統的な美術の継承は重要である。
私が美術大学に工場を計画した背景には、マシンへの激しい情熱を持つマーク・ポーリン氏が率いるサバイバル・リサーチ・ラボラトリーズ(SRL)の存在が大きかった。サバイバル・リサーチ・ラボラトリーズ(SRL)は、工業製品や軍払い下げ品といったジャンクから巨大マシンを製作し、ラジコン操作で互いに戦わせて破壊するという見世物的パフォーマンス集団で、炎を噴き出したり木片を発射したりする破壊的なマシンでものを壊すパフォーマンスを世界各地で上演している。もちろん公演禁止もめずらしくない。私が計画した工場では、こうしたマシーンの製作が想定されていた。

実際の多摩美術大学のキャンパスであるが、私の卒業後の1994年から八王子キャンパス整備計画が始まり、1997年春に絵画北棟、彫刻棟の一部、学生クラブ棟が竣工し、上野毛にあった大学院もほとんどが八王子キャンパスに移転したようである。1998年春には八王子キャンパス最大のデザイン棟をはじめ、彫刻棟群、工芸棟群が竣工、情報デザイン学科が新設される。。さらに1999年にテキスタイル棟、TAUホール、グリーンホール、2000年にメディアセンター、2004年にレクチャーホール、および本部棟が竣工するとともに、共通教育センターの外装整備も完了した。そして全学的な活動拠点となる新図書館や情報デザイン棟・芸術学棟が2007年4月にオープンした。

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