どどめ色

前述のとおり、最近はもっぱら藤井風さんばかり聴いている。永遠に味わっていられるスルメというか、無限に飲めるアイスコーヒーみたいなそんな音楽だと思う。

その、風さんの曲に「青春病」がある。この歌詞に、

”青春はどどめ色”

という箇所があって、私はすごくこれが好きだ。どどめ色というのは、打撲でできた鬱血のような、どす黒い紫のイメージがある。濁音のある響きからも、なんとなくおどろおどろしくて、ぞくっとしてしまう。どどめ色はこの意味以外にも、もとの意味として桑の実の濃い紫を指す言葉らしい。

青春は後から振り返ると痣のように残ることが多い。その時は無我だったのだろうと思う痛みの跡が、心にも体にも、自分には残っている。何かがあったことだけを伝える跡というのは、どことなく切ない。多分これは言葉を尽くせば尽くすほど、嘘っぽい。

中学生のある時、この空の向こうには宇宙が広がっていると気づいた時がある。冬の寒い日、部活の大会で試合を待っているときの、真昼の空を見て、だ。その日私は確かに、明るい空の向こうに藍よりも濃い宇宙の色が見えた。今もこの気持ちは忘れないが、もう見えない。中二病の始まりと言われれば、それまでだ。

高校生の時は、恋を時限爆弾か何かだと思っていて、好きだという気持ちを伝えないと死ぬのかという気持ちで生きていた。一度フィルターがかかると世界は色が変わって、すべてが意味ありげに見えた。とどまって安定するのがきらいで、愛よりも恋を求めて投げ込んだ時限爆弾で自爆したし、結局使えずじまいの不発弾もある。何かがあったことだけを伝える跡というのは、切ない。

これも風さんの「旅路」という曲の歌詞だが

”果てしないと思ってたものに終わりが来ると 知らなかった昨日までより優しくなれる気がした”

というところがあって、心底ティーンエイジャーの頃に出会わなくてよかったと思う。何かが終わってきたことを知っているから、一度聴いただけですっとわかる表現だと思う。当時は永遠は信じればそこにあると思っていたし、昼間の空に宇宙を見いだせた。今は、永遠はそこに無ければ無いし、流れる雲を見つめるので事足りる人生だ。始まったものは終わりが来るし、何かがあった跡だけ残ることもある。無限に見える1Lのアイスコーヒーにも終わりは来るが、変わらないのはたぶん、この先もずっと風さんの音楽が好きだということぐらいだ。


記事に引用させていただいた、藤井風さんの「青春病」「旅路」、2曲続けてお聴きください。どうぞ。


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