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10/17日:博士課程に進んだ人間には道なき道を。

今日は高校時代の部活の後輩たちと久しぶりに再会した。

年齢的には1つ2つ下の子たちだが、卒業してから8年が経って、彼らのほとんどはすでに社会人として働いている。一方の私はまだ学生気分の抜けない(というか学生なのだが)、のほほんとした大学院生なので、そういう彼らを見ると本当に逞しく感じる。

彼らは、それぞれが今様々な境遇におかれて様々な経験をしているはずである一方で、やっぱり変わらないその子らしさがあるよなぁと思った。
当時のムードメーカーはやっぱり今もこの集団ではムードメーカーだし、ツッコミ役は今日もキレのあるツッコミをしているし、しっかり者は今日の準備や片付けにしっかり動いていた。

かく言う私も、この集団の中でのキャラクターは変わっていないと思った。優しく微笑みながら皆の話をうんうんと聞いているが、ところどころで人とは少し外れた感性に基づく発言をして総ツッコミを受けるよくわからない先輩、という立ち位置だ(と主観的には思う)。

私は同期のいない1人だけの先輩だったのだが、彼らはほとんど同期のように接してくれながらも、あるところでは一目置かれているように感じる。自分としては、この部活を楽しく過ごせる場にしてくれた彼らに、大いに感謝している。

彼らにも自分の今後の進路を聞かれたが、それに対してハッキリと答えられない自分がいる。これでは彼らに示しがつかない。いや、誰かのために今学んでいるわけではない、と思いつつも、自分自身のノブレス・オブリージュ的な思考がそうさせるのである。

彼らは、いや、彼らだけではなく、私に関わる人々は、博士課程にまで進んで学んだ人間が、この後どのように生きていくのか、というところに純粋に興味があるのだろう。社会的に見れば、博士課程に進む人間など圧倒的少数派だ。物珍しさに興味を持たれてもおかしくはないだろう。

一方で、自分の研究室に目を向けると、自分の数年・十数年上には、当研究室の博士課程あがりの優秀な先生方がたくさんいる。身近な人たちにおいては、博士号を取得した後に大学で研究を続ける方が多数派なのである。

今の自分は、どこか既に存在する既定路線に自分を当てはめようとしているような気がする。

しかし、道はそれだけではないはずだ。
むしろ、本来は前に道などないのである。
自分という人間のみが歩く道が、自分の後ろにできるだけだろう。

そう考えたとき、先週見た舞台のセリフが思い出された。
「楽しいこと、見つけようとしないやつには一生見つからんぞ。探してみ。楽しいこと」
今も楽しい生活を送っていることは確かなのだが、もっと視野を広げれば、もっと楽しい世界や物事が目の前に広がる可能性もあるはずだ。

視野を広げ、道なき道を歩む人生も悪くないかもしれない。

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