11/3水:強い人間こそ弱者への寄り添いを。
世の中には多様な人々がいる。一定の人間が集団として集まると、程度の差はあるにしろ、ほとんどの場合、トラブルや軋轢が生まれるものである。
そういったトラブルが生じるのはなぜかと言うと、シンプルに言えば、異なる人間同士は深いところで理解し合うことが本質的には不可能だからである。
どんなに相手のことを理解しようと努めたとしても、相手の気持ちを推し量ることはできるが、真に心の底から相手の気持ちを理解することはできない。
それが特に顕著に表れるのが、俗に言うところの、逞しくてメンタルの強い人間と、か弱くて繊細な人間が共に存在する集団である。ここでは簡単のために、前者のことを強者、後者のことを弱者と表現することにする。
強者には弱者の気持ちが理解できず、弱者には強者の気持ちが理解できないだろう。それは、お互いがお互いのメンタリティとかけ離れたメンタリティを持っているからである。
しかし、この広い社会は、このような人々がうまく共存できるように運営されなければならない。その役割を担っているのが「政治」であり、そのような社会運営を「政(まつりごと)」と言うのである。
どのような社会においても、政治を担っているのは強者であることが多い。それは、人の上に立つ人間には一定の強さが求められるし、強い人間でなければ政治を担えないからである。
しかし、強者には弱者の気持ちが理解できないので、その政策はどうしても強者に寄ったものになりがちである。
弱者への寄り添いが無ければ彼らは死に、その人間集団を支える人間の母数が減少してしまう。だからこそ、強者にはより一層、弱者への寄り添いが求められるのである。
一方で、弱者に寄り添いすぎる政策にも問題がある。強者への声援が無ければ彼らはやる気をなくし、集団の活力が低下してしまうからである。
この両方のバランスがうまく取れなければ、人間集団はうまくいかないのである。
したがって政治には、「強者への声援」と、「弱者への寄り添い」という相反する政策の両方が同時に求められる。これは本質的に矛盾しているのであるが、その矛盾に向き合わなければならないのだ。だから、政治は難しいのだ。
政治を担う強者は、弱者への寄り添いの気持ちを強く持ちつつ、適切なバランスを見極めながら振る舞う素養が求められるのだ。
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