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のどかな休日を過ごすことにまだ罪悪感を覚えるのです。

この土日は比較的時間に余裕があったので、研究室には行かずに自宅やその周辺でゆっくりと過ごしてみた。

(と自然に書いたが、よく考えたらこの書き方は「土日も研究室に行くのが普通」という感覚を暗示している。まぁ、この6年間ずっとそういう生活をしてきたのだから、そうなってしまうのも仕方がないかもしれない。)

私は幼い頃から習っていたピアノを弾くのが趣味で、休日をゆっくり過ごそうとすると、ピアノを弾くぐらいしかやることが思いつかない。

しかし、そんなことだけをやっていたらあっという間に人生が終わってしまいそうな気もして、何かやらなきゃ、という気持ちと、ゆっくり過ごそうぜ、という気持ちが常に私の中に渦巻き、混濁している。

この土日は、ある程度ピアノを弾く時間をつくってそれにも飽きてしまったので、午後に少し家の周りを散歩することにした。

普段の最寄り駅までの行き帰りは、両耳にイヤホンを突っ込んでYouTubeを聞き流しながら、得意の早歩きで移動しているから、今は敢えてイヤホンもつけず、周りの風景を見ながらゆっくりと歩いてみよう、ということを意識した。

外に出ると、天気は良くて日差しは暖かいものの、4月になるというのにまだ肌寒い風が吹く。

雲一つない空を見ると、不思議と自分の気持ちも晴れるような気がするのは、普段どれだけ周りの景色を意識して歩いていないか、ということの表れのような気がしてくる。

最寄り駅近くにある広めの公園では、子どもたちが飛んだり跳ねたり、走り回ったりして遊んでいる。ここだけを見れば、3月のヒューストンで見た公園の光景と、何ら変わりのない平和な光景だ、と思った。

ぐるっと回って自宅に向かおうと歩いていると、ふと、アイスクリームが食べたい気分になった。

普段はコンビニのおやつや総菜パンは、健康に悪くかつ小銭が出ていくという観点から避けているのだが、今日はのんびりモードで過ごしてみることを意識しているから、自分にアイスの購入を許すことにした。

自分でアイスを買って食べたのなんて、いつぶりだろうか。誰かが買ってきてくれて、頂いて食べる、ということはあったかもしれないけど、自分で自分のためにアイスを買ったことはもう何年も無かった気がする。

しかし、これによって、「自分が欲しいと思ったものを、金に糸目をつけずにいつでも手に入れられる」という感覚を得られていることを自覚し、価格としてはもちろん100円程度のものだから全く大した出費ではないのだけど、4月にいよいよ学生としての期間が終わった自分もやっと大人になれたような、不思議な気持ちがした。

自宅を出て約1時間して、また自宅に戻ってきた。

この1時間をゆっくりと過ごしてみて、確かに心穏やかに過ごすことはできたのだが、やはりどこかでそれに罪悪感を覚えている自分もいる。やるべきことをやるためにやらなければならないことがたくさんあるのに、それに目をつぶっているような気がしてしまう。

この混濁した気持ちが、いつかスッキリするときが来るだろうか。

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