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哲学ノート

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哲学研究の足跡として、まとめノートやレジュメ、さらには読後感想などUPします
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記事一覧

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科学と哲学

科学と哲学の違いを明確にしています。

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哲学の最初。そのこころざしとは?

極めて端的に、哲学の成り立ちの本質を語っています。

運命

占いをする。運命を知る。自分を知る。 皆、当然のことながらそんな感覚で、「占いする」と思います。 そこから得た知識、その情報を自分が解釈し 納得する、しないという体験があると思います。 それは大切なことであり、そのこと自体をあえて否定するつもりは毛頭ありません。 ただし、占い、その探求すべき正体である「運命」とは、そもそも自分ではコントロールできない対象である、というのが今回のノートの主旨になります。 納得できる、または「当たっている」とニコニコ笑っておもしろおかし

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哲学を最初の日本人は、どう見たか。

「哲学」の由来、その日本語の語源から、あるべき姿を今に復活させる意図をもって作りました。

縁は人間関係でつながっていく

インターネットの走りの時代、つまり1990年代後半からになる。このとき、自分のホームページをもって、かつサイト登録し新たな商売を立ち上げた過去がある。 その際に、「インターネットをすることの魅力、そこでの優位性とは何になりますか?」とサイト運営者に尋ねたところ、『口コミです』と、担当者は端的に答えた。 僕はそのとき、意外性と同時にいささかの違和感を感じながらも、あぁこれからの時代はそうなるのかな、そうならざるを得ない必然性があるのかもな、と、そんな風に自分の意識を変える必

都会の喧騒を見て思った

今日は哲学会で「規範」の問題にふれた。 規範とは「行為のありかた」の基準を位置付ける理念を持つことであり、存在することの本質的意義を原理的に考える、「存在の理法」というものを追求することにつながり、そこには「神聖不可侵」と表現できる、超越した聖なる次元を捉えなければならないことを確認した。 一般に規範とは、「~すべし」という命令法でその行動を規定する。 この時、その根拠としてどのような正当性を保証するのか、 これらの問題については現代における合理的精神がもたらした、「合

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言葉を越えた世界を扱う、占いにご興味のある方へ

まず、言語活動の意味をしっかり掴まなければ、「形而上学」を設定することはできず、ひいては、「占い」を正しく扱うことはできない、と考えます。

【読後感想】 ヤスパース「哲学入門」の足跡

人間であることは真に人間となること、もっといえば美しい人になることである. 時間のありようの中ですべては常に変化し続けていく…。 その中にあって、限界状況と超越者を射程に入れ、真に生きる「実存」を思索したヤスパース. 人間に関わり続けていく、そこは可能的実存として、 世界に関わることがそのまま自己に関わることである. 実存とは、時間性の中で展開する自分自身のすがたそのものである. とどまろうものならば、かえって過去に絡めとられてしまう. 時の流れからして見れば、

ハイデガーと断易

ちょっとキャッチーなヘッドラインでスタートします。 東洋では太古において占いは極めて先駆的役割を果たしていたようです。現実を判断するのに特殊な素材を用い、その解釈は自然崇拝的な擬人的手法で捉えておりましたが、具体的な構造を分析する理論があり、この理論自体は自然観察による原理から一つの世界観を提示し、こうした大きな物語の中で人間は対象に立っている、生かされているという意識で現実を取り上げ、取り扱ってきました。つまり一般庶民の間の単なる迷信的なものから一次元脱皮させ、より高い視

AI (人工知能)は知識革命たりうるかーアリストテレス・オマージュ

電算技術が超高度に発達して、今や「A I」全盛期を迎えたといっていい時代が到来した. 人間は単純作業から解放され、高度に発達した機械を駆使したスピード感ある新世界を構築しようとしている. 一方で、人間の持つ #インテリジェンス の本質が問い直される事態となった. 機械とは異なる形で、人間にはそもそもどういった能力を発揮できるのか、 否応無しにその本質的意義について反省しなければ 自ら自身の存在自体が危ぶまれる事態に至ったのである. AIとは、(artificial in

【読後メモ】トマス・アクィナス(第2章:その4)〜親和性について

判断の正しさが生じる仕方として、理性の完全な使用のほかに、事柄に対する親和性に基づく判断の正しさがある. ex. 貞潔に属する事柄について、倫理学を学んだ人は理性の探求により正しく判断するが、貞潔の習慣を有する人は、何らかの親和性によってそれらについて正しく判断される.…トマス・アクィナス 神的な事柄を被るー聖霊の賜物である限りでの知恵がある 神的事柄に対する共感、ないし親和性とは、我々を神と一致させる愛徳によって為されるものである. 聖霊の賜物である限りの知恵の定義

【読後メモ】トマス・アクィナス(第2章:その3)

(解説)人間が人間らしい生き方をする中心概念である「徳」の中で、トマスが考え抜かれ最も磨き上げられた概念に「節制」がある.厳しい修道生活に裏打ちされながらも、自然の本性を肯定し「欲求能力」を悪とは見ない、それ自体の自律性により内的に高められ乗り越え変容していく過程で喜びを生む徳が節制であると結論づけていることに驚かされるものがある. 《抜粋メモ》 「節制」という徳を有する人物の特徴は、「欲望すべきものを欲望する」という積極的なあり方の土台の上でバランスよく欲望をコントロー

【読後メモ】トマス・アクィナス(第2章:その2)

善には多様性や可変性があるようにみえるのは、情念の受動性によるものであるが、この情念の根底には「愛」がある.(トマスにおいてこの愛とは、「欲求されうるものが気に入る」ことと定義する) 世界は、さまざまな様相をもち、顕在化している可能性と顕在化していない可能性があるが、われわれが自己の精神を変容させることで、存在するものがどのような魅力を伴い現象化するかが変化していく. この観点から「よく整えられた #情動 を有する人」が人生全体についての目利きであり、徳を有する人であると

【読後メモ】トマス・アクィナス(第2章:その1)

トマスの神学者としての立脚点:「人間いかに生きるべきか」にある トマスは、当時のキリスト教会からは「中道的アリストテレス主義」とよばれる立場である.アリストテレスのテクストに密着して解釈しキリスト教と統合することで世界理解を刷新した. 体系化されたキリスト教義の理念にとどまらず、「人生をいかにいきるべきか」という実践的生き方を課題に据えているゆえに、「徳」という概念を中心にした人間論が展開されている. 徳とは「人間を善いものにし、人間の働きをよいものにするもの」である